本校の学校教育に関連したの校長日記です。お時間のある時にお読みいただければ幸いです。
12月6日(水)「できないことは すてきなこと」
子どもたちの可能性は無限大。それは、はじめは多くのことができないことに尽きます。自分で起きられない、一人で食べられない、歩けない、言葉をしらない、一人で遊べない・・・できないことだらけだから、周囲の大人と関わろうとします。できなかったことが少しずつできるようになると、一人でやろうとすることも増えてきます。自立は成長の過程ですが、大人になって全て自立しているかというと、そうではありません。やはり一人でできないことの方が多いことを自覚する必要があります(だから、人間は社会的動物と言われます)。個では弱者の人間は、社会で生きることによって進化してきました。全て一人でできるようにならなかったことが、人間の力を引き出したとも言えます。教育ではとかく、「自分で出来るように」を目標としがちですが、できることを増やすこと、できないことは助けてもらう、代わりに何かできないかを考えるの3要素を兼ね備えることが生きる力につながっていきます。当方は、まだSNSをうまく使えません。代わりにリアルな対話を大切にしたいと思います。
12月5日(火)「コミュニティー・スクール」
先日、「教育新聞」一面でコミュニティー・スクール設置校が全国で5割を超えたとの記事が載っていました。本町では、統合した南知多中学校で今年から体制づくりがはじまっています。学校外部の方も構成員となる学校運営協議会により地域の実情を踏まえた持続的で風通しのよい学校経営をするとともに、地域学校協働本部により、社会に開かれた教育活動を地域と互恵関係の中で進めるものです。コミュニティー・スクールを効果的に進めることにより、教育活動の充実はもとより、多忙化が問題となっている教職員の働き方改革や不登校対策、地域防災や境界のない児童の安全確保にもつながることが期待されています。本町で小学校が体制づくりに着手するのは、南知多中の体制が整ってからとなりますが、すでに地域との協働が進む本校においては、既存の組織や活動を整理しながら、よい部分を取り入れていきたいと考えています。
<既存の連携>
青少年を育てる会、各区まちづくり協議会、地域祭礼行事、各区スポーツ協会、スクールガード、ゲストティーチャー 等
12月4日(月)「銀杏くらべ」
みさき小の秋のシンボルツリーは銀杏ですが、県内では銀杏といえば「祖父江」が有名です。伊吹おろしの強い北西風を防ぐために植えられたとされる銀杏並木が南北に走り、この時期は町全体が黄色に染まるといってもよい光景です。昨日、用あってぎんなんパークに足を伸ばしました。駐車場に入りきれない観光客が訪れており、自然と人の営みが共存した素敵な観光地になっていました。


12月3日(日)「谷」
毎年愛知駅伝が開催される日は、悪天候(雨、雪、強風)が多いのですが、昨日は好日となりました。本校から選手として参加した児童には一生の記憶に残る一日となったように思います。子どもたちの生活を見ていると、ゆるやかな成長の中で、ある日ある時が起点となって、それまでの概念や価値観、経験値が大きく転換する機会があることを感じます。当方においては、小学校時代の児童会役員選挙の落選でしたが、山在り谷在りの適度な経験が、精神面を強くすることもよく知られています。子ども一人一人のステージでの山と谷、多くの場合は、谷からやってきます。そこに挑み続けた人が「頂の景色」を見ることができます。選考会以降、監督をはじめ町社会教育課、スポーツ推進委員の皆様など、多くの方が当日までお支えいただきました。今年もありがとうございました。

12月2日(土)「閉鎖」
新型コロナ5類へい移行後も、換気や手洗いの励行などの感染症対策は継続してきましたが、1日(金)はインフルエンザやかぜ症状による欠席が半数程度となった5・6年生を短縮授業とし、4日(月)の学年閉鎖措置を決定しました。インフルエンザについては、出席停止解除には解熱後2日程度の静養期間が必要です。土日を含む3日間の休日・休業で、感染のピークを抑え、他学年への拡大を防ぐことを期しています。昨年度コロナ禍の一年で、学級閉鎖は1学級でしたので、今回のインフルエンザの感染力の強さを感じます。閉鎖によりご対応をお願いする保護者の皆様には大変ご迷惑をおかけすることを、申し訳なく思います。
*各学級当面は、前向き給食とし、室内でのマスク着用を励行してまいります。合わせてご理解をお願いいたします。
12月1日(金)「郷土」
来年1月14日(日)に開催予定での「親子ふれあいハイキング~大井28社めぐり~」主催である「郷土に親しむ会」理事会と総会が、昨夜大井公民館で開催され、校長と教頭が参加しました。旧大井小学校時代から親子が多く参加する地域行事となっており、今回で44回を数える歴史と継承の努力には敬意を表します。大井地区を囲むように置かれた小さな社を、親子でハイキングしながらめぐることは、健康と地域の歴史を知る一挙両得の企画で、師崎地区青少年を育てる会の「師崎歩け歩け大会」にも通じる内容です。小学校の統合により、本校の子どもたちはどちらの企画も参加しやすくなりました。親子で、高学年は友達同士誘い合って、地域の特性を活かしたオンリーワンの健全なイベントが盛り上がることを願っています。

11月30日(木)「駅伝」
12月1日にモリコロパークで開催される「愛知駅伝」が近づいてきました。昨夜は、南知多中運動場で、屋外での最終練習を行いました。小学生から一般まで、市町村対抗で、アップダウンのきついモリコロパークの周遊コースをたすきを渡しながらゴールをめざす駅伝大会は、今回で16回目となります。南知多町も毎年チームを編成して参加していますが、真夏の8月に選考会をして、その後3ヶ月ほど、週3回の夜間練習を行い、走力を高める努力をした選手には、リスペクト(敬意)しかありません。小中学校に陸上部があるわけではなく、一般でも実業団があるわけでもありません。他市町との比較ではなく、めざすのは、選手それぞれがベストを尽くし、思いのこもったたすきをゴールまで運ぶことです。「がんばれ」「ありがとう」「お願い」・・・、言葉にならない思いのリレーにチャレンジした子どもたちを誇りに思います。
11月29日(水)「年間行事」
学校経営を考える上で、校内外の行事を調整することは、「連携力」を学校力の一つとする中ではとても大切なことです。この時期は、来年度の年間行事予定を作成する時期で、さまざまな情報をもとに、活動や発表に最適な時期を探っていきます。入学式や始業式など儀式的行事は、知多地方で統一される情報を待ち、続いて学校間連携(保・小・中)が必要な町で統一する行事(修学旅行や林間学校、各種会議等)を確認します。また、子どもたちの参加を求められる地域行事との重複を避けなければなりません。保護者にご参加いただく活動は、子どもたちの準備・活動期間に配慮しながら、できるだけ参加しやすい日を選びます。教職員の繁忙期のピークをできるだけ抑える業務改善(働き方改革)にも留意する必要があります。さまざまな情報を入手し、来年度の行事計画の骨組み固まりつつあります。さまざまな情報が飛び交い混乱することを防ぐため、当ページによる公表にはもう少しお時間をいただきますが、先の見えない時代に少しでも安心して進めるように計画はしっかり立て、状況の変化に臨機応変に対応していきたいと思います。
*ラーケーション、あいち県民の日学校ホリデーは、今年度に入ってから導入が決定しました。計画をそのまま実行すれば正解になる時代ではありません。日日、アップデートが必要なことは、学校教育活動も同じです。
11月28日(火)「漢字」
2学期から本校に転校してきたAさんは、出身は東南アジアで2年ほど前に日本にやってきました。前の学校から日本語指導を受けており、現在は日常会話はかなりできるようになり、平仮名や片仮名に加え、小学校2年生程度の漢字も習得しています。ただ、漢字への抵抗感は強く、小学生のうちに1000字以上を学ぶと伝えると、「ムリムリ」と笑ってあきれた表情になりました。ただその由来や「表意文字」で組み合わせでできていることを伝えると興味深そうに学んでいました。在籍学級の国語や社会科など漢字を多く使用する授業の際に、別室で個別学習をするようにしています。タブレットの翻訳機能も活用しながら、文字だけ4学年遅れて学習しているAさんを、しっかり支援し中学校に引き継ぎたいと思います。目標は、4年生までの漢字習得(読み9割・書き7割)です。
*漢字発祥の中国では、漢字を使うもののかなり簡略化が進んでいますが、伝播した日本の方が複雑な漢字が多く残って、学習の困難さを与えています。異論はあると思いますが、國と国、櫻と桜のように、国際化を進めるにはもう少し表記の簡略化(バリアフリー)が必要ではないか、これはディスレクシアなどの学習に困難がある人たちにも有効ではないかと、感じる今日この頃です。
11月27日(月)「健康」
トップページでも紹介しましたが、本日第2回学校保健委員会で「目の健康」をテーマに、全国的な子どもたちを取り巻く健康課題を取り上げました。基本的な生活習慣は、子どもたちの成長の基盤であることは言うまでもありませんが、子どもたちの理解は年齢に応じてさまざまです。生まれた時から、即応性・刺激性に優れたディスプレイが手にとれる環境にある子どもたちだからこそ、よく理解し主体的に健康課題に向き合う必要があります。
11月26日(日)「イルミネーション」
大きな月の照らす夜、この冬も大井交差点付近の歩道で手作りのイルミネーションが灯りを灯しました。まちづくり協議会の皆さんのご尽力により長年続く取組で、今年も新しい展示がありました。文字通りまちを明るくする事業で、国道を通る車の運転手の癒やしにもなります。安全をよびかける看板以上に、「安心感」を与える灯りに教育のヒントを感じます。
11月25日(土)「信頼」
感染症禍は終息した訳ではありませんが、程度と対策実績の積み重ねで、社会全体が混乱することはなくなりつつあります。2022年の春、本校開校の頃はまだまだ予断を許さず、感染を秘匿にすることが常識でした。正解がわからないことを全世界が経験し、大切なことが、「寄り添い」(一緒に困り、一緒に悩んで、一緒に進む)であることを学びました。想定外のことを乗り切るには、日日の「信頼」の醸成しかありません。終わらない戦争を続ける国や.地域の状況を見て改めて痛感します。日本はどうでしょうか?
11月24日(金)「日日是好日」
いろいろなことがある先行きの見えない日々も、好日にする懐深い生き方を学んだ、昨日の掛川城二の丸茶室でした。お茶のお師匠さんは、92歳で「青い鳥」に乗る粋な方でした。


11月23日(木)「素敵なの時間」
昨夜、町総合体育館で、南知多町教職員会のソフトバレーボール大会があり、各校が2~3チームをつくり、5つのブロックに分かれて交流試合をしました。コロナ禍を経て4年ぶりの開催で、本校の先生たちも町教育委員会より指導主事のお二人にも加わっていただき2チームに分かれて、ボールを追いかけ素敵な時間を過ごせました。会を準備・運営していただいた福祉部の皆様、各校チームの先生方に感謝申し上げます。

11月22日(水)「先生スキ」
昨日は、いつもお願いしているスクールガードさんのご都合が悪く、1年生の下校に付き添いました。「わたし、〇〇先生スキ」と、一人の児童が会話をはじめました。「あとは?」「〇〇先生もスキ」、「あとは?」「〇〇先生も」。一緒にいる私の名前が出てこないので、意地になって「あとは?」の質問を続けます。「〇〇先生も……。あとは知らない」転けそうになりながら、まだ出てきていない先生の名前を挙げて質問します。「あっ、知ってる。〇〇先生もスキ」結局、ほとんどの知っている先生のことはスキなようで、最後の方で当方も入れてもらえました。保護者の方が、家の前で待っていてくださり、笑顔で走って行きました。好きな人の囲まれて、児童の毎日はきっと幸せいっぱいです。子どもの幸せは、好きなものの数で決まるように思います。友達、先生、遊び、勉強、給食、読書……、学校を好きなもので囲まれる空間にすることが、私たち教職員の役目です。
11月21日(火)「プラぷーふ」
昨日の大放課、なわとびをしにやってきた1年生でしたが、北風が強すぎて縄がうまく回せませんでした。体育倉庫にフラフープがあることを思いつき、なわとびと取り替えることを提案しました。保育所で経験があるのか、「やるやる!」と早速持ち替えていました。「先生、ぼくも“プラぷーふ”やる」、かわいい言い間違いで思わず笑ってしまいました。??という表情でしたが、あえて否定せず、いつか気付くのを待つことにしました。ほどなく、地震避難訓練で「緊急地震速報」に続き、校舎内に残る児童に運動場への避難を指示する教頭先生の声が流れました。子どもたちにはどのように聞こえているのか、(少し不謹慎ですが)考えると会話、対話が楽しく感じられました。
11月20日(月)「地図」
中学校では社会科免許を有する当方ですが、地図に興味をもちはじめたのは小学校4年生の頃です。同級生に同じように地図に興味をもった友達がおり、地図を見ては、地名を覚え、日本地図や世界地図を視写することが時間つぶしになっていました。おかげで、都道府県と県庁所在地を覚えることは苦もなく、100ぐらいの世界の国々の位置と首都は暗記することができました。そんな様子を見て、親は地球儀や図鑑を買ってくれました。その後、興味は星やスポーツ、クラシック音楽など他分野に移りますが、大学受験で教員養成系の学部を選ぶ時に教科選択を迫られ、地理的分野を選択することを決めます。その感も、世界地図いつもトイレで眺めており、実は今も自宅のトイレには、学校がお世話になっている書店名の入った世界地図があり、毎年更新しています。
11月19日(日)「学校ホリデー」
今年度導入された耳慣れない言葉「学校ホリデー」は、県政150周年を記念して制定されたあいちウィーク内の1日を学校休業日とするもので、県下多くの学校が4連休となるように11月24日(金)に位置づけられました。コロナ禍以前では、標準授業時間数を注視し、カリキュラムマネジメントとして授業時間の確保に細心の注意を傾けていましたが、大幅な授業時間数減のコロナ禍を経て、授業時間数が標準を多少下回っても大きな学力低下が見られないことが検証された形となり、授業時間数より学ぶ意欲を重視した質的な充実に目が向けられるようになりました。「学校ホリデー」は、授業日を一日少なくする従来の発想と逆の取組となりますが、マイナスではなく、家庭で充実した時を過ごすことで学校教育への好循環が期待されています。当たり前を打破し、学校でも家庭でも主体的に学び、自己有用感・効力感を実感しながら、学び続ける姿勢が身につけば、個別最適な学びを自ら進める力になっていきます。季節は冬に向かって歩みを進めますが、ぜひ子どもと一緒に「何しよう?」と対話することからはじめていきましょう。
*図書館や町総合体育館など、町の社会教育施設もお薦めの学びの場です。

11月18日(土)「同窓会」
所属感は、時に人を支える大きな力になります。同窓会もその役割を果たしています。今日午前、地元高校の同窓会総会があり役員として参加しました。入学生徒数が減少し、昔は6クラス(240名)あった学年が今では、2クラス定員(80名)となっています。この実情から学校の教育方針を「学び直し」に転換し、1学年4クラス(20名)の手厚い指導体制で、生徒は若い教師集団に安心して真面目に学校生活を送る環境が整っています。総会後の、和太鼓部と音楽部によるアトラクションがありました。OBを前に、緊張しながらも精一杯演じる姿に、心洗われる時間をいただきました。キャリア教育として、本校金管バンド部とコラボして発表する機会を考えたくなりました。
11月17日(金)「子どもの目」
視点が低いことから、視野は決して広くはありませんが、大人では気づかないようなことを見つけ出すのが子どもの目です。大放課の校庭では、虫や木の実、雲の形、片付け忘れのボールなど、目に付くものがさまざまですが、多くは次の望ましい行動につながります。「コーチョーセンセイ あれナニ?」ブランコの接続部分の茶色のかたまりを2年生児童が指さしました。制作に1週間はかかろうかという見慣れない虫の卵?ネットで調べてみると ガの卵のようですが、「カマキリかな?」その場では分からずじまいでしたが、秘密はそのままにひと冬の観察の対象です。

11月16日(木)「キャッチボールやろうぜ!」
大リーガー大谷選手、2度目のア・リーグMVPの獲得が確実視されています。スケールの大きさは、二刀流のプレーだけでなく、日本の小学生に「野球やろうぜ!」のメッセージと共に6万個のグローブをプレゼントする慈善事業も公表。1校当たり3つのグローブが順次届けられるそうです。先日野球ファンのスクールガードYさんから、「グローブが届いたら見せて」と、笑顔でお願いされましたが、いろいろな面で野球人の夢を叶えてくれる選手です。3つのグローブをどう使うかは、先生や子どもたちと相談したいと思いますが、個人的には1つはいつでも見られるように玄関に飾り、残りの2つは子どもたちが手に一度ははめ、大放課の遊びなどで使っていくことが大谷選手の願いにつながると思います。キャッチボールは、ただボールを強く投げることではなく、多くの球技のパスがそうであるように、相手が取りやすい所、投げ返しやすい所を目がけ、心を通わせることが大切です。大谷選手のすてきなプレゼントで、一人でも多くの子どもたちがキャッチボールのよさを感じてくれることを、自称“野球バカ”は祈っています。(最近、低学年の児童が大放課に、「コーチョーセンセイ、野球やろう!」と誘ってくれます。3度の飯より楽しみな時間になっています)
11月15日(水)「見守り」
元用務員で学校の西側に住んでいるNさんは、毎日1,2年生の畑を見回り、スクールバスの発着で子どもたちに手を振ってくれています。スクールガードのYさんは、1,2年生の下校に付き添ったり、運動会や学習発表会など行事のカメラマンを担ってくださり子どもたちの成長に目を細めてくださいます。学校北側に住むTさんは、自主的に校庭管理を申し出てくださり、凸凹になった舗装面をコンクリートでならしてくださったり、ノリ網と竹でフェンスをかさ上げし、ボールが校地外に出ないように工夫してくださっています。交通指導員で大井区在住のMさんは、子どもたちの登下校を分刻みで把握し、危険な横断歩道を渡る時間帯に立哨しようとバイクで駆け巡ってくださっています。先日の師崎区クリーン作戦では、近隣の皆さんが学校正門から通学路伝いに除草をしてくださいました。花のない時期が寂しくならないように、Sさん手作りの風車が正門花壇に彩りを与えてくださっています。多くの方の温かい見守りに支えられ、子どもたちは安全な環境で安心して学校生活を送っています。さりげない日日の見守りに感謝申し上げます。

11月14日(火)「シン 小牧山」
大河ドラマ「どうする 家康」の放送で、家康に縁のある東海地方の至る所で、PR合戦が行われています。昨日訪れた小牧市にある小牧山は、織田信長が清洲城と岐阜城の間に城下町を築いた平山城で、のちに家康と秀吉が対峙した小牧・長久手の戦い(和睦で決着)で家康が陣を敷いた場所としても有名です。近年石垣が発見され、それまで主に土塁で城を防護していた小牧城の歴史観が大きく変わり、大河の注目もあって、歴史資料館を兼ねる小牧城も内外で施設が充実しています。もう少し近ければ、6年生の社会見学地としても適していますが、興味ある児童が家族と一緒に訪れることに委ねたいと思います。麓から歩いて20分と適度な低山に遊歩道が整備され、資料館も麓と山頂に2つあり、趣の違う建物となっています。ウクライナ、パレスチナで戦火が終わらない中、歴史上とはいえ戦(いくさ)を肯定するものではありませんが、鉄砲など武器の進化の一方で、石垣・城など防護の進化も興味をそそられる歴史事象です。ちなみに天守閣のカタチで山頂に創られた小牧山歴史資料館は、個人の寄付で創られたそうです。北は御嶽山、西は伊吹山、南は名駅のビル群、東は猿投山があり、濃尾平野が360度見渡せる視界が開け、天下人の目線が分かる場所でした。


11月13日(月)「カルチャーショック」
ラグビー王国アイルランド出身ですがラグビーには興味がないALTキリアン先生は、息子と同じ歳です。息子よりずっと敬意をもって接しており、機を見て、当方は英語を、代わりにキリアン先生には日本語を8:2で伝授し合って?います。先日の会話では、疲れた時の対処法は、一日1杯の珈琲ということを教えてくれました。「Do you Like coffee, too?」と逆質問があり、「いえす。あいらいく すたば」と返しました。「スタバ タカイネ。インスタントデOK」と続きます。また、「抹茶がスキ」ということも知りました。「抹茶アイスも美味しいですね」とたたみかけましたが、「No~!」と一刀両断。外国人観光客に人気のはずですが、キリアン先生の口には合わないようで、「アイ ライク グリーンティー」で、ヨーロッパ ティ(紅茶) も おいしくないそうです。抹茶アイスが嫌いな理由も尋ねました。「中国ニイッタトキ、緑ノミントアイスヲ タベタラオイシカッタ。日本ニキテ、緑ノアイスヲミテ ミントアイス ダト オモッテ タベタラ、甘くてビックリシタ。カルチャーショック。『ナニコレ~!』」それ以来、緑色のアイスを見ると思い出し、ショックがよみがえる。緑色はミントアイスがよいそうです。「コウチョ センセイ 外国イッタコトアル?」「グアムに一度だけ」「ドウシテ?」「Teachers trip 16years ago」「カルチャーショック ナニ?」「ブルースカイ アンド ホワイトビーチ」「カルチャー ジャナイネ(^_^)」「そうですね。ん~っ、スロー タイム」「ソウネ 日本シャカシャカ(ジェスチャー付き)」文字にすると、意味不明ですが、十分理解できました。
11月12日(日)「篠島」
40歳から3年間、校務主任として篠島小学校にお世話になりました。ちょうど、校舎移転の時期で、島の中央の高台(東山)から、中学校に隣接する内海高校分校跡地に移転する作業に関わることができました。島の方々の想い、協力に触れ、3年間に10年分ほどの様々なことがあった時間でした。教員として、教育の原点を知り、児童、保護者、地域に根ざす学校について見方・考え方を深めるかけがえのない経験となりました。(写真撮影 11月11日夕刻)



11月11日(土)「〇〇のおくりもの」
先日、ある会議で「学習発表会」の形式について、知多地方小学校の実情を情報交換する機会をいただきました。集合形態がとれない大規模校の他、コロナ禍を経て、多くの市町では体育館での一斉発表を取りやめ、授業公開日のカタチで、発表場所や時間帯、内容を調整しながら平日に行うように移行しつつあります。代休日を設定しない日にち設定も、保護者の皆さんには好評との声もあります。昔ながらの学芸会形態は、観る側には好評ですが、感染症対策や教科外の活動時間を多く要し、「学習発表」にふさわしくないという反省もあります。生活や価値観が変わり続ける時代にあって、日頃の教育成果を発表する「学習発表」のカタチも、学校の特色に応じた最適解を求め続ける努力が大切です。今年度の学習発表会・作品展は、その趣旨を踏まえ、各学年の実情に応じた工夫したものとなっています。ご参観いただ保護者の皆様に、きっとよい子どもたちからのおくりものとなるはずです。
*雨上がりで足下の悪い中、また北風の吹く寒中にご来校いただき、ありがとうございます。着実に進む子どもたちの成長をお感じいただければ幸いです。
11月10日(金)「ふ・く・し」
「ふだんの くらしの しあわせ」について、4年生が学習をはじめています。このキャッチコピーは、日本福祉大学原田教授が提唱しているもので、障害の有無にかかわらず、人々が生活に真の豊かさを実感できることが大切という意味が込められています。よく例えられるのが、「近視」という視覚障害です。五感の中でも最も大きな役割を果たす視力にハンデを負う障害ですが、過半数以上の人がこの障害と向き合っているので、障害という認識は薄く、眼鏡やコンタクトレンズなど克服のための器具も開発され日常化しています。障害は、人々の意識で変わるという実例ですが、他の障害も、便利な器具や障害への理解が進めば、個性になります。近視も、昔クラスで少数派のときは、いじりの対象になっていた時代もあります。障害自体はかわらないので、変わったのは少数派から多数派となったことと、それにともない商品開発でおしゃれで、扱いやすい器具が手に入りやすくなったこと(=障害をとりまく環境の変化)によります。聴覚や身体、性的マイノリティの配慮も、人々の理解と環境の整備で、障害ではなくなり個性に変えることができます。今回の4年生の学習発表の中にも、「ふくし」のキーワードが登場します。よい発信の場として、ご期待ください。
11月9日(木)「がんばれ!」
がんばっている人に「がんばれ!」は、かえって辛い言葉がけとなりますが、これ以上に応援にふさわしい言葉は見当たりません。8月の愛知駅伝町代表選手選考会以後、週に2~3日の練習日が設けられ、本校から6年生男子Aさんと女子Kさんが汗を流しています。昨夜は、南知多中学校運動場で、入念なストレッチの後、1000m走と200m走に取り組みました。意欲的な中高生について行く強い気持ちと、成長期にある体と相談しながらけがをしないように力を付けていくことが大切です。本校トップアスリートの2人のがんばりを、全校で応援したいと思います。
11月8日(水)「許される戦争はない」
報道では、パレスチナガザ地区の死者が10,000人を超えてしまいました。攻撃を続けるイスラエルの死者が1,400人で留まっていることを見れば、イスラエルの攻撃がハマスの先制攻撃への報復に留まらない憎しみに基づく感情的な戦略となっていることがうかがえます。憎めば憎まれ、争いを収める手段にならないことは、数々の戦争を引き越した歴史の教訓ですが、平時は理解していても、当事者になると理解する力を捨ててしまうのが人間なのでしょう。一度してしまうと、世代を超えて禍根を残す愚行が戦争です。子どもを犠牲にしてなんのために戦うのか、その理由が「正義」となることはありません。
11月7日(火)「緊張」
舞台に上がると多かれ少なかれ人は緊張を強いられます。私が小学生の時、児童会立会選挙で初めて舞台に上がり、頭が真っ白になって演説ができませんでした。以後、舞台に立つことがトラウマになり、できるだけ避けるようになりました。教職でありながら、今も本音は、できるだけ避けたい気持ちがありますが、逃げては自分を変えられないと毎回意を決して登壇しています(^_^)。緊張を「危険な避けるべき状態」ととらえるのではなく、「緩さ」「楽」の対極にある「自分を成長させる場」ととらえることで、前向きに考えられるようになります。「やりたい」を前面に出せる低学年から、経験を積み自分の力を限定することを知る高学年になると、「様子を見てやらない」ことをスタンダードにする児童が多くなります。緊張を乗り越えたものしか味わえない達成感を、クラスメイトと一緒に味わう場が今の学習発表会の位置づけのひとつです。「学習発表会はどうですか?」と子どもたちに尋ねると、「緊張するけど、楽しみ」異口同音の答えが多く返ってきます。感染症に負けず、本校2回目の「緊張」の場が、子どもたち一人一人によい経験となりますように。
11月6日(月)「家来」
主君に忠義を尽くす家来の姿が、大河ドラマで王道です。これまでにないリーダー像で高い視聴率を維持する「どうする 家康」も、基本は同様です。現代の日本では、身分制度はなく「平等」が基盤ですので、主君により生き方が決まる家来はいません(いないはず)が、時々、よい意味で「教師は子どもの家来」と、感じることがあります。出会う子どもたちによって、目標を定め、指導法や支援の仕方を変え、時に定めた目標や手立てを変えつつ、達成時には子どもをたてながら共に喜ぶ職業です。教職を志した大学時代に読んだ本に、灰谷健次郎著の「せんせい、けらいになれ」があります。40年経っても、その構図は変わらない教師の基本姿勢です。
11月5日(日)「再認識」
文化の日を含む3連休。生活のリズムが崩れそうになりますが、起床時刻や犬の散歩、運動習慣など、平日と同じにすることで、メリハリを続けることができます。私的なことですが、昨日は甥の結婚式に参列しました。昨年から親族の葬儀が続いていただけに、改めて結婚式の幸せを実感します。新郎新婦を祝福することを通して、親族・関係者が幸せを感じる、それを支えるスタッフの皆さんの心配りがあり、時・場・人すべてが幸福に包まれます。日常の変わらぬルーチンに、こうした節目が加わることで、人生は豊かになると再認識しました。
11月4日(土)「アナログ」
デジタル全盛の社会ですが、どちらかといえばデジタルの迅速性・正確性・利便性よりも昭和のアナログが好きです。(もう乗ってはいませんが、)車で言えばミッション。タッチレスのエレベーターより階段、ゲームより読書や運動の方が体に合っている気がします。先日、2歳の孫がミニカーにはまっていることを知りました。一人暮らしの娘がレゴブロックを趣味にしていることも……。二人ともスマホの即応性は手放せないようですが、どちらかを選択するのではなく、デジタルとアナログの二刀流が、人間の健康な心身を保つために必要なことと思います。
11月3日(金)「文化」
平和を希求し、力や競争によらない人々の営みが文化であると考えています。よって、平和の象徴である文化は、被災時や戦禍でこそ、力を発揮します。先のコロナ禍では、その初期に音楽やスポーツは不要不急と言われかけましたが、長引く感染症禍で改めてその力を、人々は実感することができました。人生の豊かさは「文化的」であるかどうかで測ることができます。それは、学び続ける姿勢をもっているかということにもつながります。「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」の意義を忘れない。年に一度、年を重ねるごとに、その大切さを実感します。
11月2日(木)「素自」
昨日、尾張小中学校長会の研修会に参加し、LGBTQ+など、性で区別することの社会的問題について再認識する機会をいただきました。性的マイノリティ(少数派)と言われる人たちの生来の特性は、疾病ではないので個性として受容が必要で、多様性を重んじることが、だれにとっても幸せな社会です。講師のS氏は自らのご経験から、学校や社会が、これまで「ふつう」を強要し、「男らしく」「女らしく」など、ある一定の価値観で人を縛る社会をつくってきてしまったことを指摘されました。制服やトイレ、更衣室など、性を男女の2つしか認めない見方・意識は、多数派の無理解によります。「~すべき」という偏見や差別を生みやすく常に人と人との間に違いを認めない諍いや衝突を、常に生み出してしまいます。性だけではなく、世代や信条や居住地で差別しない「素自(ありのままの自分)」をみんなで尊重する社会への向かうことが、学校の居づらさに起因する不登校やいじめ等の問題解決にもつながります。「どうする大人たち?」と、子どもは「曇りなき眼(まなこ)」で見つめています。
11月1日(水)「友達づくり」
Aさんと友達になろうとしたBさんは、Aさんと仲のよいCさんとも仲良くなろうとしました。一方、Dさんと仲良くなろうとしたEさんは、Dさんと仲の良いFさんの悪口をDさんに伝え、Dさんの気を自分に引こうとしました。
多くの場合、Bさんの立場の人は2人の友達ができ、Eさんの立場の人はDさんともFさんとも友達になれない結果を生みます。友達づくりで、BさんとEさんのどちらの方法を選ぶかは、子どもの場合は生育環境による自己肯定感の高低が影響しています。ネット社会で、スマホを手にした子どもは、大人の知らない交流も可能になっています。友達づくりのつもりで、逆に友達が遠ざかることにならないように見守り時に指導することは大切です。ただそれ以上に、「もっと自分に自信をもっていいんだよ」「あなたの存在自体が嬉しい」と、周囲の大人が自己肯定感を高めるメッセージを伝え続けることが、Eさんの思考を変えるために必要なことです。
10月31日(火)「二番目の悪者」
書店ので、児童書にしては真っ赤な地で怖そうなライオンがひときわ目をひく表紙の絵本を見つけ購入しました。「二番目の悪者」というタイトルから、一番悪いのは自分勝手そうな怖いライオンで、二番目が主役なのだろうと読み進めました。詳しい内容は控えますが、現代社会の風潮に警鐘を鳴らすよい主題(中学年以上)でした。道徳の教材としては、結論が出過ぎている展開ですが、その分強い印象を残します。良書との出会いは、子どもの人生を変えます。10月に図書委員会がひと月かけて続いた図書館まつりは終了ですが、本を気軽に手に取り、文字や絵から得られる広く客観的な情報で知性を高め、自分の生き方の糧にする姿勢は大切にしてほしいと思います。二番目の悪者にならないために。
10月30日(月)「月がきれいですね」
男子が女子に直接的な言葉で「好き」を伝えることがはばかられた時代に、文豪夏目漱石は、告白の言葉として「今夜は月がきれいですね」という粋な言葉を師弟に進めたとか・・。一人で眺めていても、月がきれいな夜が続きます。反動がないといいのですが・・。

10月29日(日)「部分月食」
休日でしたがいつも通りに目が覚めてしまい、夜空の明るさに目をやると満月の左側が少しぼんやりしていました。「5時台に部分月食が起きる」というニュースを思い出し、15分おきに3枚写真を撮影しました。天体の神秘です。見逃した方はぜひご覧ください。



*このあと、西の空に沈みながら元のカタチにもどっていきました。
ここで一句 「日常に 想定外をつくらない 望月の 欠けたることも あると思えば」
10月28日(土)「圧が怖い」
子どもたちと接していると、「明るくユーモアのある先生が好き」という子どもが多い一方で、教師の熱心な指導が苦手な児童が少数いることに気付きます。豪快で、正しさを明確に指し示し、痛快な指導をする先生に多くの児童は安心してついていくことができますが、じっくりと自分で考え、納得できないと一歩を踏み出せない子どもは、わからない状態で集団の規律に合わせることに不安を感じてしまいます。子どもたちがたくさんいて、集団で行動することで安全や効率が高められた社会から、子どもが少なくなり一人一人が個性を大切に、ある程度自主を尊重されて育ってきた子どもたちへの対応は異なることが必然です。どちらかに極端にふれるのではなく、学級の状況、個人の実態を見て、時と場、人で指導と支援を使い分ける力が、「令和型」として求められています。
10月27日(金)「献血」
昨日、出張で訪れた町役場保健センター前で献血が行われていました。打ち合わせが早く終わり時間にゆとりがあったので、受付に向かいました。「ありがとうございます。こちらにお座りください」と丁寧な対応で、「それではまずこれをお飲みください」と、小さめのアルカリイオン飲料を渡されました。「全部ですか?」「はい、できれば」心の準備がありませんでしたが、言われるままに飲み干しました。「15回目の献血ですね。いつもありがとうございます」「年齢は大丈夫ですか?」「65歳までは問題ありません」「骨髄バンクへのご登録は?」「何歳までいいのですか?」「55歳までです」「すみません、年齢オーバーでした」・・・血の濃さも基準値を満たしており、待機・経過観察まで全部で30分ほどで終えました。献血中は寝そうになってしまいましたが、前回「寝ないでください」と注意されたのを思い出し、一生懸命目を開いていました。世の中の役に立つことはなかなかできませんが、献血は丁寧な言葉で感謝される数少ない機会です。目標は30回、65歳まで献血できる体を維持していきたいと思います。
10月26日(木)「停戦」
寒暖の差はあるものの、何をするにも爽やかな“短い秋”を堪能できる天候が続きます。一方で、日本から時差6~7時間あたりの2つの地域で戦闘が収まりません。昨日のニュースで、「停戦」と「戦闘休止」の違いを知りました。「戦争」と「軍事作戦」と同じように言葉の言い換えだけのようにも感じますが、当事者の意図やメンツを保つことが、戦いを終わらせるためには必要なことと歴史が教えてくれています。過日紹介した「戦争をやめた人々」の絵本では、歌やスポーツの力により、敵にも大切な家族や優しさをがあることを最前線の兵士が知ったことが、戦闘休止のきっかけとなったと記しています。戦争をはじめた扇動者は、勝利しないとその後自分の身が危うくなるので、優位に立てないと戦いを止めることはできません。だから、問題の公正な解決の方法として戦争はなりえないのです。政治家や軍幹部が戦争を支持する言葉を発しだしたら、権力を持つ立場から降りてもらうよう民衆が動くことが「あやまちを二度と起こさない」賢明さです。ルールのない争いは、対話の力が足りない人がすがりがちになる愚かな行為、また非難するだけでは戦争をやめられない人たちと大して変わりません。心身の貧困・抑制から抜け出す方法を共に考える共感力・想像力が、争いに陥らないために必要な力だと思います。本校の子どもたちの穏やかさ、優しさという長所を大切にしていきたいと、改めて感じています。
10月25日(水)「婚約」
当方が婚約したのは、23歳でしたが、昨朝、スクールバスから降りた7歳の女子児童からすれ違い様に「こうちょう先生、わたしけっこんする人 きめてる!」と宣言されました。唐突なことに、「それはよかった」は、間抜けな応答しかできませんでしたが、挙式予定を聞いておけば良かったと後悔しました。大人にとって遠い過去になってしまった子どもの世界は、本当に楽しく、来年還暦を迎える当方にとっても生きる糧を与えてくれます。一方、大放課にはサッカーを安全にする場所と方法を探る校庭で、子ども同士で行き違いがあり、元気よく遊んでいた男子児童が涙を流すことがありました。子ども時代は喜怒哀楽を多く経験し、その乗り越え方・糧の仕方を学ぶ期間でもあります。その傍らにいられるのが“せんせい”と呼ばれる教職です。どうぞあなたもやってみませんか(だれに言っている?)。
10月24日(火)「文化の秋」
昨日、子どもたちを通して各家庭に学習発表会のご案内を配付しました。校内運動会日を昨年度より1週間遅くしたため(それでも暑かったのですが)、逆に学習発表会までの期間は1週間短く、急ピッチで発表会モードに切り替わっています。日頃の学習の成果をより伝える内容へ、各学年が工夫を重ねています。昨日の夕刻、先生たちが体育館に集まり、発表用の電子黒板を運び込んだり、音響装置の設置をしました。体育館での体育の授業や大放課の遊び、夜間開放もしばらくは休止していただき、11月11日まで「学習発表会仕様」となります。学校全体がONE TEAMとなり、子どもと教師ができあがる過程から楽しむことで、みさき小の文化の秋が深まっていきます。
10月23日(月)「だいじょうぶ」
正門で通学班を迎えていると、通学班の遅れて一人歩いてくる児童がいました。「おはよう」と声をかけると、少し恥ずかしそうに「おはようございます」と笑顔で応えてくれました。「どうして一人?」と尋ねると、「少し遅くなって、お母さんと途中まで来たけど、学校が近くなったから『だいじょうぶ』と言って、一人で来た」とのこと。1年生であれば、学校まで「いっしょにきてほしい」と言いそうですが、何年か通って、眠気さえ吹っ飛べば、一人前のプライドが湧き起こります。大人になると大丈夫でない人が「だいじょうぶ」と言ってカムフラージュすることもありますが、子どもの言葉は信じたいと思います。「強くなったね」そう素直に喜びたいと思います。
10月22日(日)「超・人不足社会」
多忙化により教職員のなり手不足が問題となっていますが、財務省の見立ては、「日本社会全体が労働人口の減少で人手不足となっている。学校だけの問題ではない」ということです。また、昨日NHK特集番組でも、社会基盤を担う業務(エッセンシャルワーカー)を中心に深刻な状態になりつつあることが紹介されていました。このまま体制を変えなければ、今後も日本全体が抱える大きな問題となり、状況は益々悪化していくことが目に見えています。「教育の質を落とさないで、学校独自でできる工夫はないか?」を考えるに当たり、頼りになるのはやはり子どもです。経験頼みの大人だけでは、ついつい旧態依然や前例踏襲に走り、抜本的な改革の方針を出せない(=問題の先送り)ことが多くなります。将来世代を担う子どもたちが自分事として考えた意見は、環境問題への取り組みのように大人を凌駕することもあります。多数決では、少子高齢化で子どもたちに勝ち目はありません。少数派である子どもたちの意見を尊重する視点こそ、「子どもまん中社会」を先導する学校に求められる姿勢です。
10月21日(土)「梅原邸」
名誉町民で、全国的にも有名な哲学者故梅原猛氏の生家が、秋の一般公開をしています。町社会教育課が整備した昔懐かしい日本家屋のたたずまいで、美味しい焼き芋の匂いも来訪者を喜ばせていました。東日本大震災後、日本人のあるべき姿を語った番組録画を時折見返すことがあります。「自然や世界の人々と仲良すること」の大切さは、近年唱えられるSDG’sの理念に通じる先見性の高さを改めて感じています。

10月20日(金)「どうする 運動会」
昨夜、師崎区民体育祭常任委員会に参加しました。コロナ禍や雨天による中止が続いた区民体育祭がようやく開催でき、内容も区対抗ではなく交流やふれあいを中心とした種目に変更されました。その成果を踏まえ次年度の開催時期や方法についても協議されました。持続可能とするには、運営する委員さんたちの負担や地球温暖化による暑さ対策も必要で、さまざまな検討要素があり、夏休みラジオ体操会と合わせて、時期と内容については体育推進委員の皆さんに一任することとなりました。午前実施の校内運動会に続き、午後も200名ほどの参加があった区民運動会が、今後も子どもたちが楽しみにするスポーツを通した地域交流の場となることを願ってやみません。
10月19日(木)「学習発表」
運動会が終わり、2学期の2大行事のひとつ「学習発表会」に向けて、各学年準備を進めています。現在も「学芸会」の名を残す学校もありますが、内容は日頃の学習の成果を発表する「学習発表」に切り替わって来ています。近年はコロナ禍で、内容だけでなく開催方法も大きく変わり、各教室を使ったブース形式や学習発表会自体を授業参観に変更する学校も増えつつあります。先の運動会後に5,6年生にとったアンケートで、運動会と学習発表会を比較する問いを設けましたが、一番多かった回答は「どちらも同じくらい楽しみ」でした。小規模校のメリットを生かしながら、運動会と合わせて子どもたちの楽しみを維持する持続可能なカタチを探り続けています。
10月18日(水)「砂場」
私が校庭環境に手と目が配られているかを測る指標としている場所に「砂場」があります。小学生の頃は、放課の砂遊びや体育科の走り幅跳びのほか、6年生の頃は相撲がはやり、土俵代わりに遊んでいました。今みさき小では、各学年の体育科の他、1年生の図画工作科で砂の造形遊びで使われたり、5年生理科で「流れる水のはたらき」を調べるのに使われたりします。草が生えない冬場はシートを外して、大放課や昼放課の遊び場にもなればと考えています。ジブリアニメの名言に、「人は土から離れて生きられない」がありますが、子どもの頃に砂や土を触った経験が、大地をはじめとする自然に感謝し、環境を大切にする心をにつながるようにも思います。学校の砂場が、その一助になることを願います。
10月17日(火)「特別」から「個別」へ
特別支援教育の理念が普及し、本校でも通級指導教室や特別支援学級を利用する児童が増えてきました。子どもたちは、その特性(個性)により集団での学びが得意な子と、個別での学びが得意な子がいます。どちらか一方を選ぶのではなく、その割合を実情を見ながら適切にすることで、学習効果や自己肯定感を高め、その子に応じた成長を支援することができます。一方、多くの児童が通う学校は、施設や人的配置に予算的な制限があり、一人一人のオーダーメイドに応じた教育の展開には限界もあります。家庭、学校、学童、他後デーサービス、習い事等が連携・融合し、子ども一人一人に寄り添った教育環境を模索し提供することが、子どもたちに関わる大人に大切な姿勢です。
10月16日(月)「令和6年度」
今年度も半ばを過ぎましたが、学校ではそろそろ来年度の行事予定を考えていきます。入学式や卒業式等、知多地方で統一するため正式決定はまだ先となるものもありますが、学校裁量で決められるその他の行事は、関係機関の予定と重ならないようにするため、早めの設定と調整が必要です。修学旅行や野外教育活動等の宿泊行事はすでに決定しています。温暖化による暑さ対策が必要な運動会については、PTA委員会でも開催時期の見直しのご意見をいただきました。5年度の歩みを着実に進めながら、課題や反省が来年度生かされるよう多面的に最適解を探っていく必要があります。
10月15日(日)「伝統文化」
町内では人口減少による担い手不足にコロナ禍による休止が重なり、地域の伝統文化を継承する行事の継続が難しくなってきています。区民体育祭の方法についても同様で、参加者がより楽しめる持続可能な行事となるようにすることが喫緊の課題となっています。学校教育活動は、統合により学校規模は以前の2倍(現在110名)ほどになっていますが、少子化・若者の人口減少の傾向は加速しており、従来の方法では区単位の活動が実施しにくくなりつつあります。子どもたちの日常に楽しみをもたらし、ふるさとに愛着と誇りを高める伝統文化的行事の継続方法を、地域と将来世代を育む学校が協働で考えていく必要を感じます。
10月14日(土)「21世紀」
戦争の世紀と言われた20世紀が終わり、21世紀が始まって20年以上が経ちます。当方が中学生の頃、文化祭の学級展示テーマで「21世紀」が採用され、教室に段ボールなどで未来都市を創りました。モダンな建物とそれをつなぐ高速道路、交通網の発達により一層快適な生活が待っていると中学生ながらに期待し、「平和」のイメージしかありませんでした。情報通信のAI,ドローンなど、想像を超える発展もありますが、「平和」については、相次ぐ自然災害や原発事故、世界を見れば戦争や紛争の連続で、残念ながら後退している印象です。人生100年時代が維持されれば、今の子どもたちは「22世紀」を見ることも可能です。ウクライナに続き、イスラエル周辺でも戦争状態となっています。「21世紀」を振り返って、「いい時代だった」と言えるようにするために、できることはこれからです。
10月13日(金)「天体観測」
12日朝4時30分新聞屋さんのバイクの音で目が覚め、新聞受けに手を伸ばすとプラネタリウムのような夜空が目に飛び込んできました。新月前の月齢27.1の月がお皿のように東の空にあり、その上にある明けの明星(金星)をすくい取ろうとしています。南の空には、シリウスが金星にマケズと輝き、その前を冬の星座代表格のオリオンが夜明けから逃げるように走り去ろうとしています。南西の高いところには、昨夜見た木星が移動しており、惑星の気ままさを感じました。プレゼントは日常のいろんなところに落ちています。目を開いているか、感じ取る心のゆとりがあるかで、一日の幸せが変わってきます。今日もよい一日(日日是好日)でありますように。

10月12日(木)「お弁当」
昨日の登校風景は、1年生が特に輝いて見えました。お気に入りのナップサックにお弁当が入っていることがほっぺたに描いてあるような笑顔で、校門をくぐり、バスを降りてきました。かねてから実感している「家族の手作りお弁当の力」の偉大さを改めて知ることができました。高校生になると毎日お弁当持参となりますが、小中学生の昼食の多くは学校給食が担ってくれます。温かく毎日変わるメニューが楽しみですが、子どもの好みを一番知る家族の手が加わるお弁当は、子どもたちにとって格別の楽しみとなります。行事等で年に数回、お弁当をお願いすることがありますが、ご苦労をおかけする分、子どもたちには記憶に残る楽しい思い出の味覚となっています。校外学習の思い出では、「おいしいお弁当」を上げる子どもが必ずいます。
10月11日(水)「制服」
中学校と高校では、性を2つに分類する制服の改善が進んでいます。男子の学ラン、女子のセーラー服が軍服に由来することも、平和主義を憲法に掲げる国としてはイメージに合いません。一昨年度地元高校もブレザーの制服に変更となり、知多地方の中学校でもブレザー基調で、パンツとスカートは個人で選択できるようになってきており、ジェンダーの課題を解決する制服変更の流れは続きます。今年度開校した南知多中は、4中の従来の制服が混在しており、現在の町内2つの中学校の制服を同じにすることを前提に、町教育委員会主導で制服が検討されています。生徒の意見も反映させるため、変更は令和6年度からではなく、業者調整の期間も見込んで、数年後1年生から段階的に移行することになりそうです。基本的に服装が自由な小学校から、指定の制服を着て学校生活を送ることは、子どもたちにとって大きな意識変化を生じさせます。中学生としての誇り、プライドであり、自覚を高めるアイテムとなるように、時間をかけた全方位の検討が必要です。
10月10日(火)「先入観」と「経験値」
AC(公共広告機構)のCMに、性別に関する偏見を問う内容ががあります。パイロット、消防士、政治家、医師など、男性社会のイメージでついつい職名を聞いて、男性の姿を想像してしまいますが、こうした潜在的な偏見が女性の社会進出を阻んでいると問うています。偏見とまではいかないものの、先入観は多くの場合思考の根底にあります。別のCMでは、先入観と経験値の違いを考えさせられるものもありますが、この3つを明確に区別することは、重なる部分もあり難しいでしょう。結果としてよい方に向かえば経験値、悪化させれば先入観や偏見となるように思います。ジェンダーの問題解決には、「~らしく」や「~すべき」という日本社会に根付く固定観念からの脱却が欠かせません。個性や人格、特性は2つの性別に分けられるものではありません。十人十色、個性化・多様性の時代に合う指導観が、経験値を誇示する大人に求められています。
10月9日(月)「ネゴシエイト」
利害が対立する当事者の間に立って、双方の「納得解」に導くのが真の交渉(ネゴシエイト)です。政治では暗い影もつきまといますが、市民社会レベルでも必要な機能で、これがないと対峙・対立の問題は解決しません。ネゴシエイターに必要な資質は、物事の本質を軸に双方の折り合いを見いだす力と思います。力で一方だけが得する決着は、禍根を残し長期的な解決にはつながりません。五分五分でもなかなか納得はいただけないのですが、共有できるメリットに着目すれば、双方が8割ほど満足できる着地点は見いだすことができます。「10かゼロか」、「勝たなければ意味がない」と成果の二極化でとかく問題がこじれることが多い現代において、「双方8割」の満足が長期的な解決の視点として交渉・調整にあたることが肝要です。中東で、2つめの戦争が始まってしまいました。緒方貞子さん級の交渉力のあるリーダーの登場を希求されます。
10月8日(日)「深秋」
30日の運動会を境に、秋が駆け足で季節の進みをこうしょうりょくn早めています。先週は、子どもたちも体調維持が難しく、保健室への来校者が急に増え、欠席や早退も多くなりました。体の小さな小学生は、基本的な衛生習慣と衣服の着脱でこの時期を乗り越える必要があります。校庭の桜の木も9割ほどは葉を落とし、次はイチョウの季節となります。草刈りから落ち葉拾いに移る校庭管理は労を要しますが、わかりにくくなってきている?季節の移りからりを子どもたちが感じる教材として、大切にしていきたいと思います。
10月7日(土)「校歌のカタチ」
多くの学校の体育館には校歌が掲示され、式典の光景のひとつとなっています。昨年度開校した本校は、1年目に校歌制定を行いましたが、体育館の前面は空白となっています。今年度卒業式までに、校歌額の制作を自身の課題としていましたが、前教育委員の池戸様や本校教員のS先生、地元木工所のご尽力で、制作に向けて目処が立ってきました。完成には数ヶ月を見込んでいますが、3月の卒業式前に、紹介のセレモニーをして2年目の記念としたいと考えています。校歌は、在籍した子どもたちと先生だけが歌える「学校のテーマソング」です。統合前の大井小・師崎小の校歌同様、長く愛着をもって歌っていただけるようカタチにもこだわっていきたいと思います。
10月6日(金)「インターンシップ」
教員養成過程で、インターンシップ(職場体験)を取り入れる大学が増えています。教員としての資質を高めたり、採用されてからのギャップをなくし、即戦力を育むねらいがあります。9月に入り、5日間ですが地元出身のYさん(大学1年生)が本校で職場体験を行いました。運動会も経験し、子ども支援だけでなく先生たちの動きを観察し、サポートする業務も体験もできました。10代で現場での体験・準備が必要なほど、教職が高度化、複雑化しているとも言えます。多忙化にもつながる実情ですが、ブラックではなくブライト(子どもたちに関わる輝き)と感じてくれていれば幸いです。ぜひ、町出身の先生の一人になってくれることを願います。
*当方が大学生1年生だった40年前は、・・・恥ずかしくて記すことが出来ません。
10月5日(木)「あいさつ」
昨日、登校時に元気よく「おはよう」を交わした児童から、3つの実を受け取りました。道路沿いにあるミカンの木から実が落ち、「道に転がっていた」とのこと。「いいにおいだよ」と教えてくれ、匂いを嗅いでみると、秋に向かう青ミカンのいい香りがしました。1階廊下の陳列戸棚の上で、通る児童の癒やしにすることにしました。
掃除の時間に廊下を歩いていると、1年生男子Mさんが、「あっ、こうちょうせんせいだ。言い忘れていたけど『おはようございます』」と、声をかけてきてくれました。時刻は、1時25分です。あいさつを終えるとすぐに、掃除に戻っていきました。なんとも、愛らしい感性で、午後の時間が至福になりました。
学校で子どもたちと接しているとさまざまな幸せをもらいます。将来の職を探している方は、ぜひ教員になってください。
10月4日(水)「学校ホリデー」
全国に先駆けてラーケーションを進める愛知県では、今年度になった「あいち県民の日 学校ホリデー」を制定し、期間中に1日学校休業日を設けるように通達がありました。知多地方では、11月24日(金)を休業日として4連休をつくり、家庭教育の推進を図ろうとしています。これまで、子どもたちの教育は、就学年齢は学校が全面に立って担うという意識が強く、教員もそれを自負してきました。一方で、教師1に対して児童生徒が40という体制では、次世代を担う力・資質を育てる「個別最適な学び」の推進には限界があり、学校教育と家庭教育の連携は、一層求められる状況となっています。本県のラーケーションの誕生には、休日に休めない保護者の就労実態や経済的な意味合い(休み方改革)も強くありますが、子どもたちの教育を、学校任せ・抱え込みせず、子ども一人一人の取り巻く環境によりそう意識を高めることが大切となります。多様性や共生社会が進む中、一律一斉の指導で高まる能力が時代に合わなくなっていくことを見据え、教育体制も多様化が必要です。学校・家庭教育において、子どもたち一人一人のめざす頂を見定め、登り方・スピードは個々の実情に合わせるための模索が続きます。
10月3日(火)「先生は大切ですか?」
2日付の中日新聞の特集記事で、見出しのタイトルがありました。3名の識者が学校で先生たちが置かれた現状を把握・分析して論じています。通勤を含め勤務環境は、市町村や学校単位でも大きく異なりますが、「教職員の多忙化」は全体的な傾向で、教員不足が露呈してからは、特に大きな問題となっています。「多忙化」と「多忙感」は異なり、同じ仕事量でも、教職員個人によって感じ方は違います。ただ、心を亡くす「忙しい」状態が問題となることには変わりません。休職や退職に追い込まれるほど多忙を極めたり、教職を目指す若者が減る状態の改善は喫緊の課題となっています。コロナ禍でいろいろなことが見直され、最近は「死守すべき」とされてきた授業時間数も、「標準」として数値にこだわらず「効果を重視する見方」にかわりつつあります。今年度、運動会と同じ9月に実施していた授業参観・夏休み作品展をとりやめ、子どもたちの夏休みの課題負担も軽減しました。「~すべき」や前例踏襲を、実情に即した視点で見直し、持続可能な教育活動に転換していく必要性を強く感じます。子どもたちが一番身近に接する魅力ある仕事なのですから……。
10月2日(月)「善意の集結」
さまざまな方の善意が集まり南知多中学校野球部で知多半島出身の元プロ野球選手Yさんによる野球教室が実現しました。部員も、大きな体、説得力のある解説・指導、桁違いのパワーを見せつける模範に、感動の連続で、記憶に残る一日を過ごすことが出来ました。ご多用の中、開校初年度の野球部を応援しようと半島の南端の中学校まで自ら足を運んで下さったYさんご夫婦の優しさと、南知多の中学校を応援する地元関係者のご尽力で実現した教室でした。感動の舞台の多くは、善意と心配りで成り立ちます。真新しいユニフォームで、1~3年生部員が礼と笑顔で迎え、お見送りした姿が、充実の活動の証となりました。野球小僧として、大きなけがのない、真の楽しさを享受できる(=チームの目標を達成する)道を歩むことを願っています。


10月1日(日)「運」
昨日の区民体育祭で、大いにもりあがったのがジャンケンや抽選会でした。だれが勝つか分からない、自分の力ではどうしようもない運の場で、勝てば(当たれば)いいことがあると分かると、わくわくやドキドキが平等に訪れるようです。地域の温かさを感じたのが、友達や知り合いが勝ったり当たったりすると、本人より周囲の方が盛り上がるところです。本校児童や地元何中生も多く参加していましたが、当選の発表があると自分事のように沸くき、子どもが当たると一層笑顔になる地域の皆様の姿を拝見し、将来に一層希望がもてました。
9月30日(土)「子どもに習う」
覇権主義や国をまとめるために敵対関係を選ぶ世界のリーダーたちに、ぜひ小学校の運動会を見て欲しいと思います。勝者と敗者が互いにリスペクトし拍手を送り合う。競技の準備や片付けもできるだけ自分たちで行い、やりがいと感謝の空気が会場に漂う。色で分かれた「対抗」を手段としていますが、目的は「勝者が自己の主張を通す」ことではなく、何回もある競技に代表として全力を尽くし、応援し、喜び合ったり悔しがったりする経験を仲間と共有することです。激動の時代にあって、時に敗者となることは必然です。大切なのはレジリエンス(復元力)・転んでも立ち上がり「優しい心」をもって前に進むたくましさも経験できるのが運動会です。
9月29日(金)「名月」
昨夜21時30分と今朝4時20分の月です。色の違いは、朝の方が高度が低く夕日のように赤の波長がよく目に届くためです。おそらく何十億年も、月は同じ満ち欠けを繰り返していることと思いますが、月から眺めた地球はこの数百年で大きく変わっていることでしょう。月だけは、この先も美しく静かで、誰のものにもなっていないことを願います。
9月28日(木)「運動会の功罪」
多くの子どもたちが楽しみにしている運動会が迫ってきました。昨日は総練習を行い、順調に準備が進んでいます。競争や集団演技の色合いが強い運動会は、子どもたちの元気を引き出す一方で、こうした雰囲気を苦手とする子どもには不安を大きくしてしまう要素も併せ持っています。学校行事の体育的行事として当たり前のようにある運動会ですが、その目的や方法は、時代(児童・保護者のニーズ)と共に常に見直すことも必要です。競争遊技だけではなく、体操や全校ダンス、委員会をベースとした児童自身による運営等、この行事でしか育てられない素養を見定め、全ての児童が参加できる祭典にすることが大切です。「みんなで さかそう きぼうの笑顔」の不易の理念を大切にしながら……。
9月27日(水)「チャレンジ!」
昨日大放課に校庭で作業をしていると、3年生児童がドッジボールをもってやってきました。「投げ合いする?」「本当は、ソフトボールみたいのでキャッチボールしたいけど」「ボールが固くて危ないからね。ドッジボールでいい?」何度か投げ合っていると、「校長先生もう少し強くてもいいよ。当たっても痛くないし…」と、挑戦してきました。「じゃあいくよ。あっ、おしい。」「もう1回」「ナイスキャッチ。逃げないからすごいね」しばらくすると、5年生男子2名も加わって、順番に投げ合いをしました。譲り合ったり、取り損ねたボールをキャッチしてあげたりと、輪が広がっていきます。前時の運動会練習で疲れているはずですが、「みんなに合わせてやらなければいけないこと」と「自由にして良いこと」は違うようです。大放課を自由に過ごし、3時間目の授業(やるべきこと)に、走って向かっていきました。「授業もチャレンジ!」、そんな気持ちで背中を見つめました。
9月26日(火)「同窓会」
大小はありますが、「同窓会」は、同じ学校を卒業した有志が、学校への感謝と支援を目的に、中学校~大学の多くで設置されています。先日、当方の母校である地元高校の同窓会役員会に参加しました。3年に一度の総会、10年に一度の周年記念行事を中心に活動していますが、平素の支援活動はなく、現役世代にとっての存在意義はなんだろうと考えつつあります。時代とともに、いろいろな活動は変遷を余儀なくされています。同窓会の形や内容も同様です。もう少し、現役世代を支援する学校・会員双方にメリットのある活動にしていかないと現場に負担感が増幅しかねません。
南知多中では旧4中学校の統合により、各校にあった同窓会が解散しています。今年度卒業生を輩出することから、同窓会の設立も模索されることでしょう。自立的で、現場を支援することで絆を深めるような会が、これからの同窓会のあるべき姿を考えています。
9月25日(月)「海岸」
海に囲まれた南知多ですが、海岸風景は大きく異なります。木曽川の影響を受ける内海地区は、花崗岩由来の細かい白砂が埋め尽くす遠浅の砂浜が広がります。豊浜地区から師崎地区では、逆断層崖による丘陵が海岸に迫り、砂浜は見られなくなるものの天然の良港が発達しました。三河湾の大井・片名区から豊丘区にかけては、崎が点在するものの海側が下がる正断層で西側のような切り立った崖は少なくなります。両島は、観光として人工の砂浜がありますが、名古屋城の石垣にもなった火成岩質の島が集まった篠島と、中央構造線の北側にあり半島と同じ堆積岩からなる日間賀島では、海岸の様子も大きく異なります。三方を囲まれる南知多は海岸の総延長は知多半島一。海岸と共生する風土が、町の大きな特色となっています。

9月24日(日)「オータム ハズ カム」
バスタオルで寝ていると、今朝は寒さで目が覚めました。日中も自宅はエアコンを入れずに過ごすことができ、何ヶ月ぶりだろうかと感慨にふけってしまいました。記憶する限り、人生で一番暑いと感じる夏でした。本校は昨年度より1週間、運動会を遅らせましたが、練習から熱中症対策が欠かせませんでした。湿度が下がり、ようやく秋らしい空気が漂っています。最高気温は30度に迫る日々はもう少し続きそうですが、スポーツの秋にふさわいい天候が続くことを願います。
*今朝、自宅近くの南知多中では、部活動はお休み。壮年ソフトボールチームの方が練習で汗を流していました。暑い夏も毎週日曜日7時から集まって白球を追いかけていたそうです。体力に加齢を感じる今日この頃ですが、ただ怠けているだけと反省する機会をいただきました。また昨日、南知多中卓球部が「半田祭」で優勝したとの情報も飛び込んできました。スポーツの秋にふさわしいうれしいニュースです。
9月23日(土)「電車」
先日名古屋への出張の帰りに、知多南部地区で雷雨となり、富貴駅以南が一時不通となってしまいました。富貴駅のプラットフォームに100人以上の人が滞留する状態になりましたが、ほとんどの乗客は冷静に駅員さんのアナウンスに耳を傾けていました。「天気だから仕方がない」という心の声が聞こえてきそうでした。そんな中、「こうちょ~?せんせいですよね??」と、疑心暗鬼に高校生が声をかけてきてくれました。前任校(内海小)の卒業生でしたが、4年を経て高校生になっていました。学校部活動(サッカー部)の帰りで、電車の中で当方の姿を見て、声をかけるタイミングを計ってくれていたようでした。近況報告を受け、嬉しい時間が過ぎましたが、ほどなく心配した家族が迎えに来てくれたようで、「じいちゃんが迎えてきてくれたみたいなので、失礼します」と、頭を下げてさわやかに去って行きました。結局1時間ほど、プラットフォームで待つことになりましたが、一つの出会いで、天気に感謝する気持ちになれました。教師冥利に尽きる時間でした。
9月22日(金)「宗教」
神道と合わせて日本人の思想文化に大きく根ざしている仏教。歴史学習の鎌倉仏教で学ぶように、さまざまな宗派が心が弱った人々の救済のために広がっていきました。歴史を遡れば、仏教も外国から伝わった新興宗教だった時代があり、飛鳥時代物部氏と蘇我氏の権力争いは、神道を重んじる物部氏と中国から伝わった仏教を取り入れようとする蘇我氏の宗教対立の側面もありました。権力抗争に勝利した蘇我氏により、仏教勢力は拡大し、奈良・平安を経て、日本において庶民生活に普及し、「初詣」や「仏様に手を合わせる習慣」など、多くの人が抵抗なく受け入れる宗教となっていきます。一方、源平合戦で奈良東大寺が戦火に見舞われ、戦国時代比叡山が信長に焼き討ちにあったように、時にその力は権力争いに巻き込まれたり、権力者と直に対立することもありました。近代は政教分離により、宗教が政治に介入することを許さない社会が築かれています(はずです)。仏教に限らず宗教は、人々の日常の精神世界にあり、弱った時にそっとその人を支える、宗教本来の役割を果たす存在であり続けてほしいと思います。
9月21日(木)「玉入れ」
校内運動会低学年種目の定番が「玉入れ」です。走ることが苦手な子も楽しく参加でき、本校では、担任の先生がさらに工夫して競技の前に表現運動も取り入れています。運動会では、ついつい得点を競い合うことに目がいきがちですが、大切なことは「運動を楽しむこと」です。競争はそのための一つの手段ですが、「目的」ではありません。勝っても負けても楽しさを味わえる人が、本当のスポーツ愛好家です。私が子どもの頃は競争社会で、私自身運動会は好きでしたが、運動音痴の私は得点種目に貢献できないときは小さくなって、楽しんでいてはいけないような空気を感じていました。オリンピックや国際大会では、まだその雰囲気が残っています。「がんばる過程」に注目し、それを讃えられるスポーツの特性を大切にしたいと思います。みんなで盛り上がりましょう。
9月20日(水)「Small difference makes Big difference.」
豊かな教育を創造する県民会議主催「父母と教師の教育を語る会 教育講演会」に、本校教職員、PTAを代表して参加させていただきました。講師は、車いすテニス界のレジェンド国枝慎吾氏で、「私の人生 9歳で訪れたターニングポイント」を演題として60分があっという間の講演でした。少年野球を楽しんでいた9歳の時に「小児がん」で車いす生活となり、その後車いすバスケットボールを経て、車いすテニスの世界に飛び込んだそうです。家族の支えとさまざまな人との出会いで、「健常と障害の垣根を取りたい」を使命に取組み、メンタルトレーニングで「オレは最強だ」の言葉に出会い、緊張さえ力に変えるマインドコントロールを身につけ、頂点に上り詰められました。「負けられない」を「負けたら、自分を変えるチャンス」というポジティブシンキングが、実際には絶対王者と称される地位を築き上げたといえます。「I can do it. I know what to do.」など、自ら言い聞かせ、「小さな違い(努力)が、大きな違い(成果)を生む」を座右の銘として語る国枝さんに、満場の出席者から大きな拍手が長く続きました。
*(トップ選手にあっては)現状維持は衰退。対誰かではなく、対自分(変わり続けること)。など、多くの金言をいただきました。貴重な時間・機会をいただいたことに感謝申し上げます。
9月19日(火)「お手紙」
あさひ学級担任N先生のしかけで、2年生男子児童から校長にお手紙をいただきました。絵が中心でしたが、“やきゅうがんばって!”というメッセージとともに、「どうやったらえらくなれるの?」と、手紙を渡される際に口頭の質問もありました。(恥ずかしがって?)すぐに逃げられ、回答できませんでした。「えらくなる方法」は、内心こちらが聞きたい(^_^)という気持ちでしたが、「えらい」という言葉の定義がわからないので、また詳しく話してみたいと思います。早速、お手紙を返しました。「おてがみありがとう。〇〇くんのてがみでしあわせなきもちになりました。……」眠い目を擦って、毎日がんばって登校する〇〇くん。その顔を見るのは、朝校門で待つ楽しみになっています。今度は、こちらからこっそり手紙を出したいと思います。
9月18日(月)「現役世代」
昨日、町役場主催で公共施設の再配置計画についての師崎地区説明会に参加しました。参加者のほとんどは、敬老の日の対象者で、おそらく当方は若輩者と思われました。人口減少で税収も減ることから、現在の公共施設の維持管理が立ちゆかなくなることは全国的な課題ですが、特に少子高齢化が県内でもトップクラスの本町は、喫緊の課題です。住民主体で課題解決に取り組まなければなりませんが、残念ながらこうした会に子育て世代や若年層の参加はなく、むこう30年の課題解決の主体者となるべき現役世代の姿がありません。先の計画では、旧大井小学校・師崎中学校の跡地は「売却を検討」しており、いずれは、師崎児童図書室も来年度で「閉館」となります。さらに、現大井公民館と師崎公民館はいずれ「統合」となり、うまれたばかりの本校も少子化が進めばさらに統合の対象となる見込みです。現役世代が、「この町で、どう生きるか」を真剣に考える時がはじまっています。
*学校の存続の一案としてあるのが、「複合型施設」への転換です。学校も、子どもを対象とした教育施設に留まらず、保育と教育の連携、生涯教育の場(校庭・体育館・図書室等の開放)により、地域の核となる多機能施設への転換が必要です。現役世代のみなさん、一緒に考えてみませんか?
9月16日(土)「凜々」
学びの場は「楽しさ」が8割ですが、時には「凜々しさ」も必要です。凜々とした状態は、①姿勢が良い ②たくましい ③表情が引き締まっている などの様子から読み取れます。緊張を伴うので、常にこの状態を求めるとストレス過多となります。適度な凜々しさが向上・継続の秘訣です。「楽々」と「凜々」がバランス良く繰り返す学習が、子どもたちを勉強好きにさせます。「凜々しい姿」も、その先の「笑顔」も両方素敵な子どもたちに育てていきましょう。
9月15日(金)「ネット動画」
子どもたちの生活に大きく入り込んでいるYouTubeなどの「ネット動画」。スマホを与えると静かになることから「スマホ子守り」という言葉が生まれたほどです。ただ、「依存性」「即応性」「強い刺激」「ブルーライト」など、子どもの脳の発達に悪影響のあることも科学的に実証されつつあり、薬物同様の危機を伝える学説も多くなってきました。スマホが手放せなくなってしまってからでは、「治療」は難しいという現状は、アルコールや麻薬と同じです。「感情の二極化」「キレやすさ」「多動(集中力の欠如)」など、人格まで変えてしまう力があるこうした依存は、確かな人格が構築されるまで、いつもでも手に取れる環境は不適です。多くの事象で、利便性とリスクはセットとなります。子育て・教育に「本当に必要なものは何か?」を考え続けたいと思います。
9月14日(木)「宣誓」
日本のスポーツの祭典開会式で多く目にするのが「選手宣誓」です。一生懸命やるのは当たり前ですが、子どもたちの言葉で宣誓することにより意味があります。第2回校内運動会まで2週間あまりとなりました。「協力」「全力」「賞賛」「敬意」「感謝」など行事で高める力を子どもたちと確認しつつ、今年もよい成長のステージに……。
9月13日(水)「相撲」
当方が小学生の6年生の頃、晴れの日の大放課の遊びで、砂場での相撲がブームになったことがあります。今ほどスポーツが多様に普及していませんでしたので、テレビ観戦は、プロ野球・相撲・プロレスでした(^_^)。格闘技を目にすることが多かったので、男子の遊びも力比べが通常となります。今のみさき小の子どもたちの大放課の遊びは、体育館でのドッジボール、バスケットボール。運動場での、サッカー、鬼ごっこ、遊具遊びが中心で、砂場はシートが被った状態です。転んで大きなけがをしない受け身や、相手にけがを追わせない技のかけ方も遊びの中で覚えていって欲しいというのが願いです。大井区での子どもが参加する奉納相撲の案内の配付依頼がありました。昨年度丸く刈り込んだ芝生の上で、誘い合って練習する子どもの姿を密かに夢見ています。ちなみに、小学校時代当方のあだ名は「序の口」でした(^_^)。
9月12日(火)「ダンス」
子どもたちの習い事でダンスが登場して久しいのですが、時期を同じくして学校体育にも表現運動としてダンスが取り入れられるようになりました。フォームダンスや創作ダンス、組み体操などの表現は半世紀前からありましたが、音楽合わせてリズムよく笑顔で全身運動するのは新しい領域でした。一方、運動会種目では、行事の精選や安全性からで練習時間を要するマスゲーム(集団演技)や組み体操は減少し、多くが勝敗のつく競争遊技となりましたが、みんなで体を動かす楽しみであれば運動会の目的は達成されます。体育主任H先生が自身が、よさこいソーランに親しんでいる(チームで“どまつり”にも参加している)こともあり、「全校ダンス」を昨年度から取り入れています。中には、勝敗に一喜一憂することをためらう児童もいます。また、ラジオ体操と異なり、きちっとそろえる必要もありません。自分なりの工夫や味を出しながら、みんなで踊る楽しさも、運動会の楽しみとして残して行ければと思います。
*今年の演目は「よっちょれ」。「よっちょれ」の意味は、「(じゃまになるから)どいてくれ」(土佐弁)なので、こちらはいいネーミングができればと思います。
9月11日(月)「転校生」
今日、6年生に転入がありました。これで6年生は24名、全校110名にとなりました。年度途中の転校で、心配も多いと思いますが、みさきっ子の温かい歓迎で早く慣れ、残りの6年生としての小学校生活を楽しめるようになることを願います。みさき小らしいのは、受け入れる6年生も歓迎しながら緊張もしていることです。中学校へ進んだら、3/4が転入生のようなものです。新しい環境への適応力は、昨年度の統合で実証済みなので心配はありませんが、変化の激しい時代にあって、よい刺激が高め合う集団づくりにつながるよう配慮していきたいと思います。

9月10日(日)「声援」
今夜は,ラグビー日本代表に声援を送る時間でした。選手の背中を押す声援ですが,日常に応援し合う場面が多くみられるのが運動会シーズンの学校です。コロナ禍で,声援を控えるよう指導した時期もありましたが,スポーツやイベント会場で声出し応援が許可されるようになり,甲子園慶応高校の応援は,物議を醸すほど力のこもったものでした。教育的な声援は,選手を後押しするもので,相手チームを威圧するものではありません。みんなが笑顔になる声援の方法を,子どもたちと一緒に模索していきたいと考えています。
9月9日(土)「ラーケーション」
知多半島では東浦町とならんで、9月1日から本町小中学校でラーケーションの申し出受付が始まりました。授業日に家族での「学び」を奨励する愛知県独自の教育施策ですが、全国的に関心が広がり、教育新聞では大分市でも似たような奨励策が発表したと取上げていました。愛知県知事は、「休み方改革で、教員も積極的に……」と記者会見していましたが、定数配置しかされていない現状では、学級担任がラーケーションをとると、一日補欠授業を組むことになり、教員数に余裕がない小学校での普及は課題が多いと言えます。一方、文科省は標準時間数を大きく超える授業数には、留意するよう通達も出すとのこと。担任がラーケーションをとる日は、子どもたちもゆとりをもった学校生活(自主学習等)を過ごすことがセットで許容されて、同施策の趣旨は達成できるようにも感じます。時代の流れを受けて、県が先駆けて発した一石が、よい波紋を広げていくことを願います。
9月8日(金)「縄文土器」
昨日6年生が、一日4時間かけて図工科縄文土器づくりに取り組んでいました。社会科の歴史学習で、時代の名となっている「縄文土器」と「弥生土器」のことは学びますが、リンクして土器の特色を踏まえて自分で製作する活動は、きっと子どもたちの記憶に刻まれることでしょう。弥生土器が日常生活で普及した塚勝手の良い形であるのに対して、縄文土器は祭事に使われたとされ、凝った装飾が特色となっています。当日の生活を想像し、美術的センスを磨くよい教材だと感じました。図画工作の学習を通して、創造性と想像力豊かな歴史好きが増えることを願っています。
*合科ではありませんが、教科間で関連付けられた教材が増えることは、子どもたちの興味関心が連続し、学びやすさにつながっています。乾燥する粘土の特性から、一日4時間の特別時間割が組めるのも小学校ならではです。
9月7日(木)「トトロ」のメッセージ
子どもたちに人気のスタジオ・ジブリ映画に「となりのトトロ」があります。ユニークなキャラクターや優しい登場人物の心の通い合いは、観る人の気持ちまで温かくします。数々の名シーンがあり、観る人それぞれに異なると思いますが、拾ったどんぐりを庭に植え、その発芽を夢に見るシーンは、生命力に感動する子どもらしさが溢れています。ここで大切なのが「待つ姿勢」です。近年はなにかと「スピード」「即応性」の価値が尊ばれ、市場経済では遅いものは淘汰さえされてしまいますが、暴走にならぬようリスクを見定める必要があります。時には、歩いたり、立ち止まったりできるスピードで進むゆとりを大切にしたいものです。
9月6日(水)「時計」
時刻をデジタルで確認することが増えてから、子どもたちが「時計を読めなくなっている」と実感することが多くなってきました。時計が読めないには、①時刻が読めない ②時間が計算できない の2通りあります。デジタルでは、①は容易ですですが、長針や短針の動きをイメージして量感を高めて時間を計算する力は育ちません。計算が苦手な子どもは、時間に対して受け身となってしまいます。時計がない時代は、おそらく太陽や星の位置、影のながさなどでゆったりとおおらかに暮らしていたことでしょう。現代社会では時刻に忠実に、「時間を守る」ことが「生活のきまり」として指導の対象になり、主体的に生活を送るために欠かせないスキルとなっています。
教室ではあえてアナログ時計が使われます。みなに平等に与えられる時間を大切にし、時間の流れを感じて生活できるようにすることも、主体性を養うために必要なことです(カウントダウンのタイマーでは、主体性は発揮できません)。ご家庭、リビングにもぜひアナログ時計を残していただきたいと思います。
9月5日(火)「自殺予防」
交通事故死が減少する一方で、自殺者は減らず時に子どもたちにまでその悲劇は及びます。交通安全教育は学校教育として定着していますが、将来にわたる自殺予防となるとデリケートな問題でもあり、適切な一斉指導の方法がカリキュラムに位置づけられていないのが現状です。「どんなことがあっても自死を選ぶ生き方を選択してはいけない」ことは、子どもたちでも分かることですが、生活苦や過重なストレス、疎外感から適切な判断ができなくなってしまう心理状態となることは、学校教育だけでなく、社会課題としてその解決に取り組まなければなりません。SDGs~持続可能・誰一人取り残さない社会の実現~という社会が共有する目標実現の中で、しっかり位置づけられるべき大切な課題です。「心理的安全性」という言葉がキーワードと考えます。別の機会にふれたいと思います。
9月4日(月)「学校業務改善」
今年度本校は,「学校における働き方改革に係る業務改善取組実践研修会」に知多地方の小学校として参加し,今後「教育の質を落とさない」ことと「業務改善」の両立を図る実践を試行していきます。「働き方改革は,休み方改革でもある」「学校依存,まるがかえの意識を変えることが必要だ」「さまざまな教育改革で多用となった教員の勤務を,本来の子どもたち・授業に向き合うものに戻す必要がある」「改善と言われるが,これ以上何をすればよいのか」など,さまざまな意見が聞かれます。「子どもたちの健全育成のため、必要とされていること」にやりがいをもって仕事を増やしてきた教職員ですが,教員志望者数の低下,休職・離職率の増加からは,学校が限界点に近づいてきていることがうかがえます。家庭や地域との協働による社会全体で子育てをしていくことは,少子化の問題対策や“やりがい創出”にもつながります。子どもたちには,たくさんの先生がいてよい。多くの大人に見守られ関わる子ども時代の過ごしが,ひとりひとり大切にされる温かい社会にも通じています。事業指定をよい機会ととらえ,理解・実践・啓発に努めていきたいと考えています。
9月3日(日)「スラムダンク」
昨夜、バスケットボール日本代表男子チームが団体球技種目で最初のパリオリンピック代表権を勝ち取りました。体格で劣る日本チームの戦術として、攻撃で全員がコートを動き回り、カットインと3ポイントシュートの二刀流で相手を攪乱し、なんとか逃げ切る展開でした。この戦術の鍵となるのが運動量で、試合後キャプテンの渡辺選手が「この数ヶ月本当に苦しい思いをしていた。ようやく報われた」という言葉から、勝つために世界一の運動量を獲得しようとがんばってきた姿がうかがえます。体格がものをいうスポーツの世界、特にバスケットボールは身体接触やファールが戦術としてあり、ボールを奪い合う特性から、体格差がよりチーム力となりがちです。一方で、得点を重ねるには、シュートまでの攻撃リズムをつくるため、全員の連動した動きが大切で、得点シーンにからまない自己犠牲のプレーにも目がいきます。動きがついていかないとついついファールをしてしまいます。ファールをたよることなく、献身的なプレーで48年ぶりの偉業を達成したを選手たち全員に拍手を送りたいと思います。
*この春からロングランを続けた映画も、バスケ人気を押し上げることとなり、きっと選手たちのモチベーションとなったでしょう。体育の授業や部活動でバスケットボールが採用されている理由に、5人制・個人技と運動量・チームプレーがあります。勝利至上主義に走らず、こうした競技特性を大切にすることが、親しまれるスポーツとして定着と道です。
9月2日(土)「人災」
昨日は、大正時代に起こった関東大震災から100年でした。10万人を超えると言われる死者は、自然災害最多で、首都圏を襲ったことで日本人のくらしに長い間大きな影響を与えた災害となりました。「弱いものがさらに弱いものをたたく」という言葉がありますが、当時の混乱の中誤情報が流布し、社会的弱者であった在日朝鮮人に矛先が向き、虐待・虐殺を起こしたことに、日本社会は目を背けてきた感があります。されたことには大きな声を上げ、したことには気付かないふりをする姿勢では、国も人も良好な関係は築けません。自然災害は被害をゼロにすることは困難ですが、それに伴う人災は心構えでなくすることはできるはずです。人の弱さを知り、扇動や誤った同調圧力に早期に手を打ち広げない備えをすることが、恥ずべき悲しい歴史を繰り返さないために必要なことです。
1日には、全国的に学校でシェイクアウト訓練が行われました。防災訓練には、体を守るだけでなく、誤情報に踊らされない心持ちも育てていく必要性を感じています。
9月1日(金)「説法」
短時間ですが、ご住職の説法をうかがう機会がありました。説教と異なり、納得感をもって耳に静かにしみこんできます。子どもたちに話す時、伝えたい気持ちが強くて聞く側の立場になっていない時、悪い意味の「説教」となります。反省を蓄積し、2学期始業式の式辞を考える際に意識したことは、「双方向」と「一貫性」でした。一方的なよびかけではなく、「夏休みにチャレンジしたことは?」と、問いかけることで、対話的な双方向が成り立ちます。この質問には、5名の子どもたちが次々と応答してくれました。もうひとつの一貫性は、1学期終業式と同じ「チャレンジ」を話題にしたことです。子どもたちの生活自体が「チャレンジ」にあふれているので、大人のように改めて意識する必要はないのですが、「失敗をいっぱいすることが生きている証」と、意識して欲しいという願いで語りました。
大型扇風機2台が音を立てる暑い体育館で、子どもの心にどこまで響いたかは疑問符もつきますが、個に応じ「自分はどうした?」と自問自答する機会になれば幸いです。
8月31日(木)「スーパーブルームーン」
今日は、月の楕円軌道で地球に最接近する「スーパームーン」に、ひと月に2度目の満月である「ブルームーン」が重なる「スーパーブルームーン」です。8時頃、東の空にいつもより大きく美しい満月が昇ってきました。幸い見ることが出来た人は、秋のような月に、日中の暑さを少し忘れることができたのではないでしょうか。太陽の光を受けて輝く月ですが、眩しい太陽にはない魅力を備えています。
8月30日(水)「既視感」
新聞の見出しで「既視感」という言葉を見つけました。漢字から意味は推察できましたが見慣れない言葉だったので、正確な意味を調べました。初めてなのに以前に経験したことのように感じるデジャブに相当する意味であることが分かりました。新聞で使われていた記事は、教員の働き方改革に対する専門委員会の提言です。このことから、現場ではもう手が尽くされている感があります。
いよいよ2学期が間近となりました。子どもたちの笑顔と保護者・地域の皆様との良好な関係に既視感はありません。みさきっ子は、いつも新鮮で温かい感覚を与えてくれます。
8月29日(火)「処理水」
東日本大震災以降、原発事故で溜まり続けてきた放射性物質を含んだ原発処理水が海洋放出されました。世界的な機関の立ち入り調査も受け入れ、国は科学的客観的根拠を示して安全性を訴えていますが、隣国の中国や韓国(後に軟化)は、「無責任な対応だ!」日本を強く非難する方針を示しています。大震災時に生まれた助け合いや感謝の気持ちはどこかにいってしまったようです。同じ水でも、「汚染水」か「処理水」かは、意図して使う人によって異なります。あえて「汚染水」を使う国は、放射性物質への危惧というよりは、日本との国際関係のかけひきのカードとして使っているというのが、専門家の見解です。国同士だけでなく、個人の関係でもよく見られることですが、「いいがかり」も「ひらきなおり」も、良好な人間関係を築く方法としては対局にあります。国通しの家計構築も同じだと思うのですが、……。少しばかり寂しさを感じながら、子どもたちに範となる「大人の対応」を願うばかりです。
8月28日(月)夏休み読書感想文4「スマホを持たせるのは遅いほうがよい」
昨年度ベストセラーとなった著書に「スマホ脳」があります。WHOがゲーム障害を疾病と認定したことも関連し、依存性の高いスマホやオンラインゲームが人間の脳に与える悪影響が着目されるようになりました。この夏、保健主事のS先生が参加された研修会いただいた参考図書が「リアルで遊ぶ。心が通う。家庭でできるデジタル障害予防」を副題とした見出しの冊子です。スマホやタブレット端末を開発したアメリカ大手IT企業のトップが、自分の子どもたちにはスマホ等を与えていないことから、開発者はその弊害を知りつつ、普及・シェア獲得のために、デメリットを積極的に公表してこなかった事実を上げ、冒頭紹介した「スマホ脳」同様の主張をしています。著者が日本人であることから、より日本の子どもたちの事情に沿った研究を基に論を展開していることから、より説得力があると感じました。そして、「子どもの脳を守ることは、子どもの将来・人生を守ること」という思いを強くもちました。企業や警察に頼る「情報モラル教育」の漏れを理解しながら、教具としてのタブレット端末の普及の一方で、弊害とならないように留意対策をしっかりしていきたいと思います。
8月27日(日)「主体性」
昨日、名古屋市教育センターで開催された「主体性のある子どもに育てるために~子どものやる気を伸ばす脳のメカニズム~」という講演会に参加しました。「なぜ今、主体性なのか?」という疑問には、複雑で予測困難な時代にあって、指示待ちや既得経験に頼った受け身の姿勢では、自己の可能性を広げ未来の創り手となれないことへの危惧があること。「主体性」を、「何をやるのかは決まっていない状況でも自分で判断し行動すること」と定義し、「主体性」を育むには、脳がうまく機能する「楽しさ」「安心」など感情の安定(心理的安全性)の大切さをご教示いただきました。挑戦・行動(チャレンジ)を勧め、失敗を責めない周囲の姿勢が欠かせない発達支持的な生徒指導にもつながる内容で、「チャレンジの夏」を呼びかけた当方も、拠所をもって今後の指導に当たることが出来ます。貴重な機会に感謝申し上げます。
<講演の様子> *写真掲載には講師の寺本様から許諾をいただいています。



8月26日(土)「多忙は悪か?」
こういうことを記すと叱られるかもしれませんが、当方は、「多忙」は悪いことだけでなく良い事もあるという考え方です。「やるべきことが多い」というのが悪いのではなく、「主体性がない」ところに問題があります。降って湧いてくるような調査や不祥事・問題行動への対応、クレーム的な保護者の電話対応等が、多忙の要因として上位に上がっています。一見どれも教員としては主体性を発揮しにくいように見えますが、調査は教育改善や環境整備のための予算確保の資料のため。問題行動や保護者対応は、それまでの指導の結果を受け、指導を改善するきっかけと考えれば、教員本来の主体性を発揮することができます。論ずるより実際は難しいし、一日24時間は変えることが出来ません。全体としては、教員定数増や部活動の一部地域移行等、学校体制の見直しが必要ですが、「持続可能を見据え段階的に」「試行錯誤の柔軟性」という認識が移行期には大切です。「行ったり来たりで振る舞わされる」という硬直した意識では、できることしか取り組めなくなり、どんな改善もうまくはいきません。「人間にとっての不幸は、社会から必要とされないことである」という言葉があります。教職員が「多忙」なのは、学校が社会から期待され必要とされている証。その願いに持続的に応えるために、組織・体制を見直し、思い切った改善を段階的・計画的に行う方針を出し、うまく行かなければ修正を続けることが「多忙化」の問題を解決する道筋であると考えます。昔も今も、教職は魅力があり誇りをもてる職です。それを覆う灰色のベールを早く剥がしたいというのが願いです。
8月25日(金)「副読本『みなみちた』」
昨日、編集副部長をお願いした内海小学校A教頭先生と一緒に、町教育委員会へ出向き、担当のYさんと、30日午前に予定している第1回編集委員会の打ち合わせを行いました。小学校3・4年生の社会科で使用する副読本は、各市町教育委員会の委嘱で改訂作業を行う編集委員会が立ち上げられ、各小学校から編集委員を推薦していただき発行に向けて準備します。教科書の改訂に伴う作業で、4~5年のおきに行われ南知多町では今回が13回目となります。社会科の教科書は全国版のため、地域教材を扱う単元では別に教材を補う必要があります。各校各学年の先生が教材研究をする時間を短くし、一定の水準で指導ができるようにすることに副読本作成の意義があります。前回の改訂から学校統合で校区が変わっている点、クリーンセンターの在り方やコロナ禍で地域のまつりが変容している実情等を踏まえ、令和7年から4年間の使用を見通して編集をしていきたいと思います。
8月24日(木)「体験型」
(美術専門の校務主任K先生を見習い?)、個人的な今夏の課題として、「美しいものへの感性を磨くため」美術館巡りをしました。名古屋市、岡崎市、浜松市、八ヶ岳、旧ボストン、メナード、ヤマザキマザックと7つで、あとひとつ津市か豊橋市に行く予定です。節穴の目でどれだけ見ても適確な評価はできませんが、鑑賞はできます。また、以前は「撮影禁止」が当たり前でしたが、旧ボストン美術館で行われた「動き出す浮世絵」のように、「撮影可」の場所も増えてきました。さらに、鑑賞後に、感動をそのままに創作のワークショップコーナーが併設されている場所も増えています。少し前に、北海道旭山動物園が、動物の展示方法をふれあい重視にしたことで大人気となって、全国の動物園・水族館に手法が普及したことに通じるかもしれません。観るだけでなく、記憶に留める活動・実際にやってみる活動の工夫(体験型)が、好奇心と学び定着の鍵であることは、学校教育にも通じることです。
8月23日(水)「坊主VS長髪」
声による応援が戻ってきた高校野球。昨夏東北に初の優勝旗をもたらした仙台育英と107年ぶりの優勝をめざす慶応の戦いは、高校野球ファンにさまざまな想いを投げかけました。長髪、自主性を重んじ、「新しい高校野球」を模索し続けた慶応は、春の選抜で仙台育英に敗戦しています。相手をリスペクトしながらも、自分たちのめざすチーム像ではなかったのでしょう。その後も方針は変えず、今大会は1試合ごとに自信を深め、決勝戦で春の雪辱を果たしました。優勝旗は、プロ注目のバッテリーを要し、「負けて、負けて強くなる これぞ高校野球」を具現化してきた仙台育英ではなく、「多様性、自主性を重んじ、笑顔を大切にする」慶応が手にしました。主義や価値の是非はともかく、テレビ応援する地元の方の姿からは、礼儀と明るさで「地域に愛される学校」の底力を感じました。
8月22日(火)「ラジオ体操」
持ち方はことなりますが、町内各地で夏休みの終盤にラジオ体操会が行われています。当方の居住区では、20日(日)からスタートし、駅横の駐車場を会場に30人ほどの住民・子どもが集まり朝のあいさつをしています。首にはラジオ体操カード(今年はポケモンキャラ)をかけ、ラジオ体操後にはパックジュースをいただいて帰路についていきます。師崎地区は、21日が本校出校日のため22日から開始。本校運動場を会場に50人ほど(児童生徒が半数)が集まり、山陰の下で体を動かしました。夏休み中朝はのんびり過ごしてきた子どもたちにとっては、2学期に向けた生活習慣の転換期間。目をこすって参加する児童もいますが、体操とその後の棒ジュースがよい目覚ましとなります。青育会事業として企画運営をしてくださる区の皆様に感謝申し上げます。
8月21日(月)「出校日」
今日は夏季休業中唯一の全校出校日。児童はキャンプがあった5年生を除き、1学期終業式以来の登校となり、一層日焼けしている子、逆にプールの日焼けがとれている子と、それぞれの夏休みの過ごしが想像できます。共通するのは、夏休みの課題を大切に、誇らしげに手にして登校している様子です。登校後、課題を提出コーナーに自分で作品を置きながら、教室では久しぶりに会う友達とはしゃぐ様子も見られました。6週間(42日)ある夏休み、短時間ですが、子どもたちの2学期準備のためには欠かせない出校日です。
8月20日(日)「花火大会」
夏の夜空を彩る花火が、各地で戻ってきました。町内でも数カ所で開催されましたが、昨夜の内海メーテレ花火大会は、土曜日開催だったこともあり、コロナ禍以前の人手で賑わいました。全国各地で花火大会が中止となった3年間、花火師の皆さんをはじめ業者の苦慮はこれまで経験のないもので、休業・廃業に追い込まれた会社も多いと聞きます。それだけに、作業工程の多くが手作りの打ち上げ花火は、関係者の強い想いを感じました。また、大規模なイベントでは、事故や事件が起こらないように関係者の活躍にも目が向きます。人混みの警戒に多くの警察官の姿があり、町役場からは、20人の職員が歩行者の道路横断等の交通整理に尽力してくださっていました。本当は家族や友人と見に来たいはず・・・、花火大会など楽しい行事に参加する際には、いつも考え感謝しています。今年もよい夏の時間をいただきました。
8月19日(土)夏休み読書感想文3「客観性の落とし穴」
客観的な見方の指標としてよく数値化が行われます。学力テストから学校評価アンケート、教職員自己評価シートまで、達成基準を数値化して評価しやすくするように求められます。デジタル化の進展とともに、学校だけではなく、社会全体もデータ主義が横行し、数値の変位を把握することが正しい分析・対策につながるとされ、コロナ禍では毎日の感染者数の上下に一喜一憂していました。
先日、本屋さんで、「それって個人の感想ですよね」「数字で示してもらえますか」「エビデンスはどこに?」など、課題の協議検討で交わされそうな言葉を帯に記された「客観性の落とし穴」(村上泰彦著)という書籍が目に飛び込んできました。数値化=客観性に、抵抗はあっても疑問をもってこなかった当方には、目から鱗が落ちる衝撃で、思わず手にとってしまいました。客観性が真理となった時代では、数値が人を支配し、国や権力は「役に立つことを強制する」ために、数値を客観的指標(=正義)として利用するという展開は、私の心の多くの納得を引き出しました。後半は、子どもたち(生活・障害などの弱者)に焦点化し、生産性を最優先し「数値」を万能の指標とする社会の弊害を論じています。感覚としてしかもっていませんでしたが、「数値を活用する際の心構えとして、人が大切にしなければならないのが“言葉”である」という主張には、大きくうなずけます。「真理を、数値ではなく言葉で表現にできる“経験”と“心”の豊かさ」が、すべての人のウェルビーイングにつながるのではないか、そんな思いをもたせてくれた大人が読むべき一冊です。
8月18日(金)美術鑑賞「浮世絵」
江戸時代に隆盛となった世界に誇る日本美術に浮世絵があります。歌川広重、葛飾北斎、喜多川歌麿らが有名ですが、歴史学習の江戸時代の文化で扱うものの、今ひとつ魅力を子どもたちに伝え切れていませんでした。この夏は、図書館・美術館・博物館巡りを夏休みに課し、いろんな場所に足を運んでいますが、昨日は名古屋市金山南美術館(旧ボストン美術館)で開催中の「動き出す浮世絵展」を鑑賞しました。「麗」「彩」「遊」など、テーマ毎に分けたれたブースにプロジェクションマッピングを駆使した展示がなされ、老若男女、それまでの浮世絵感を変える展示内容となっていました。そもそも映画やテレビのない時代、浮世絵が人気を博したのは、静止画でアリながら人々がもつ創造力をかき立てるエネルギーを感じたからでしょう。アニメやCG全盛の現代では特筆されない構図や色使いも、当時は観る人の心に衝撃を与えたことでしょう。表現は受け手の鑑賞力で、大きく評価が変わります。当方も、最新技術のおかげで、江戸時代の文化の魅力を再認識することができました。少しお高い入館料ですが、制作者のアイデアと労、鑑賞価値に見合うものです。撮影フリーも、今時でした。




8月17日(木)プロフェッショナル「阪神園芸」
夏の甲子園も、いよいよベスト4をかけた戦いに突入しました。見ていて一番楽しいのが準々決勝と言われます。それとは別に、通の高校野球ファンを楽しませているのが、プロフェッショナルによるグランド整備です。イレギュラーバウンドで試合の流れが変わってしまわないように、限られた時間で土のグランドを見事にならしていきます。トラクターのような整地車で内野はきれいに円形の模様にならされますが、ベース付近は手作業によるトンボがけが必要です。また、高温となる夏場は消火栓のような大きなホースで散水も行います。毎試合マウンドのプレートやベース板はきれいに手入れされ、第1試合でも第4試合でも変わらない環境を提供しようと心を配ります。降雨があると巨大なビニルシートで内野を多い、雨が止むと再開に向けて乾燥した土を手際よく入れていきます。手際のよさに観客からは作業終了後に拍手が起こることも・・・。プロ野球では、数少なくなってきた土のグランドの球場ですが、高校野球が行われる地方球場のほとんどが土である以上、聖地阪神甲子園球場も土のグランドでありつつける必要があります。当方には、最高の舞台には、それを整える最高のプロがいることを実感する機会となっています。
8月16日(水)2「あいさつ」
利用客が決して多くない内海駅で草刈りをしていると、何人かの方が声をかけてくださいました。犬の散歩、宗教の普及、部活動帰りの高校生、みなやさしい笑顔です。高校1年生になった内海中卒業生は、「今日は出校日?」との問いかけに、「部活動です」「何部に入ったの?」「バドミントン部です」「(中学時代の)卓球部から変わったんだ。がんばってね」「はい、ありがとうございます」・・・生来の障害を克服し夏休みも高校部活に通うたのもしさに涙が出そうです。続いて歩いてきたのは、30歳となっても永遠の純粋さをもつ息子の同級生。「○○くんのお父さん」「ひさしぶり。暑いね」「うん」「台風も大変だったね」「大変だった」「元気?」「うん」「じゃあね」「またね」閉校期間であいさつをする機会が減っていました。改めて、あいさつ(=人とつながる)のよさを実感しました。
8月16日(水)「多目的トイレ」
昨日停電が長引いたので、隣町のコンビニに食料を買い出しに行き、ついでにトイレを使わせていただきました。新しいコンビニやスーパーのトイレは、男女別のトイレの他に、男女セットの表示がしてある「多目的トイレ」が設置されることが多くなっています。車椅子の利用者や介護や子連れのため複数で利用できる広めの個室となっていますが、最近は、男女別のトイレ利用に違和感のあるLGBTQの人も利用しやすいのではないかと考えるようになりました。お風呂と同様にトイレは男女別というのが慣習ですが、性自認で少数派の方は、その区別に違和感を生じてしまいます。性は虹色(多様)で、2つに分けられるものではないという認識が、だれもが生きやすい社会を創り上げる意識の基盤となります。子どもたちの教育の半分を預かる学校等の環境に、「多目的トイレ」が普通にあることが、ジェンダーフリー社会の理解促進に必要なこと考えたコンビニトイレ利用でした。大浴場では、男女別の他に、「家族風呂」という個別利用のお風呂があります。贅沢な使用ではなく、「多目的トイレ」同様、だれでも銭湯や温泉の雰囲気を楽しめる場所として認識され、今後も設置が進むことを願います。

8月15日(火)「停電」
当方の居住区は、昨年度に続き台風で半日を超える長時間停電に見舞われました。水やガスは維持されており、ライフラインすべてが停止したわけではありませんでしたが、長時間にわたる停電で、情報が徐々に入手しづらくなり、携帯電話も不通になると情報の発信手段が一時なくなりました。情報入手は、車内のカーナビテレビが最終手段と考えていましたが、電話やスマホが不通となると、かなり不安を覚える現代生活です。電気事業者のご尽力で、暗くなる前に復旧し、こうして更新できることに感謝の思いです。
このように考えられるのも、台風の直撃が避けられ、大きな被害がなかったためです。夏場は毎年のように豪雨・台風のような自然災害に襲われるようになりました。降ろしたシャッターを水洗いしながら、これまで以上に、災害を自分事と考え、いつか来る時のために備えだと改めて感じました。
8月14日(月)「終戦」
明日15日は「終戦記念日」。先の大戦でなくなられた人々を悼み、不戦の誓いをする日です。しかし、大戦後も戦争や紛争はなくならず、米・中・ロの大国の力学が、世界情勢を不透明にする時代に入っています。願い、祈るだけでは紛争を防ぐことはできません。正義を見定め、対話し、合意内容を確認しながら、折り合いを調整し続ける根気が、権力をもつ人に求められ、それを選ぶ一人一人に課されています。台風の襲来で、規模が縮小されそうですが、反戦の気持ちは、大風(大国の思惑)で吹き飛ばされないように、一層強くしたいと考えています。
8月13日(日)「図書館巡り」
この夏、美術館や博物館と並んで他市町の図書館巡りをしています。他の館のように入場料はいらず、無料で思うままの時間を過ごせる場所として大変重宝しています。図書館は知識の泉と言われますが、公共施設として市町村のカラーが反映される施設です。財政的に裕福な市は、近代的なデザインの建物で、多くの蔵書を有し、市内外の多くの人が学習したりくつろいだりできるスペースを確保しています。珈琲チェーン店を併設し、複合施設としてより多くの入館者をめざす図書館もあります。本町は、内海に町民会館図書室、師崎に児童図書室があり、小規模ですが親しみやすさがウリとなっています。多くの図書館はカードづくりに居住地の制限はしていませんので、より多くの図書館の会員となり利用することが実績となり、蔵書や施設改修の予算確保に貢献することとなります。心と時間にゆとりがある時の利用に限らず、むしろ余裕がない時や目的がない時の心の洗濯に利用できることが望ましいと思います。利用の際は、ぜひ運営スタッフ・図書館司書にもお声かけを。本を愛する専門的立場で、アドバイスをしてくださるはずです。
8月12日(土)「下を向いてから、前を向く」
勝ち進めれば、WBCの再現、この夏の日本に勇気と感動を与えるのでは?と期待していたW杯女子サッカーが、準々決勝で敗れ夢が叶いませんでした。タイプの違う相手チームに見事な戦術で勝利してきましたが、世界ランキング1位で圧倒的な実力のアメリカを破ったスウェーデン(同3位)の堅守に、それまで見せてきた得点力を発揮することができませんでした。ただ、前回優勝したときのように「苦しい時は私の背中を見て」とチームメイトを鼓舞した澤選手(大会MVP)のようなカリスマ的なリーダーがいない中で、若い選手が躍動し個の強さを発揮したチームは、発展途上という「希望」を与えてくれました。「はなれた日本からの応援がちゃんと私たちには届いていた」「負けは悔しいけれど、下を向いている暇はない」と言えるアスリートの強さは、勝利の歓喜同等の価値があるように思います。今後の女子サッカーに注目したいと思います。
*今回の大会では、各国のチームでLGBTQの選手のカミングアウトなど、ジェンダー平等の主張も多くありました。だれもが自分らしく生きることを躊躇しない、多様性が当たり前の社会の実現へのメッセージもしっかり受け止める必要があります。


8月11日(金)「山の日」




海辺の町で育ったせいか、山の緑と爽やかな空気も大好きです。この夏、訪れた山の景色を、涼風献上として。猛暑その後の台風にお気をつけください。
8月10日(木)「おさかな」
先日、足を伸して東海北陸乗車道のハイウェイオアシスに併設している「アクアトトぎふ」を見学にいきました。世界最大級の淡水魚水族館で、ビーチランドのようにイルカやアシカショーはないものの、多くの水槽を幼児の目線で観察することができ、ベビーカーの親子連れで賑わっていました。水族館の周辺も子ども連れを意識して、噴水やベンチが至る所にあり、無料で利用できるため近隣の学童保育の遠足にも利用されていました。台風6号の影響でにわか雨もありましたが、水着を着た子どもたちは遊びに夢中。学校がお休みの分、こうした場所の意義が高まる夏休みです。人工か自然かの区別は、子どもにはありません。安全を見守る大人の目があることが大切です。



8月9日(水)「協議会」
昨日尾張教育推進協議会主催の会に出席しました。コロナ禍で4年ぶりの開催となりましたが、愛知県知事や県・市町村教育委員会、校長会・教頭会・教員それぞれの代表が出席する「協議会」で大きなホールがいっぱいになる規模でした。協議会とは、目的を一つにする立場の違うものが集い、ベクトルをそろえながらそれぞれの目標達成ために知恵を出し合う会です。学校の身近なところでは、「PTA連絡協議会」「生徒指導推進連絡協議会(青少年を育てる会」「自立支援協議会」「地区防災連絡協議会」などがあり、それぞれの目的に向けて協議が定期的に行われています。参加する際には、会の趣旨、自分の立場を踏まえ、建設的な協議ができるよう心得る必要があります。昨日は「懇談会」なので、打ち解けた内容でした。知事に質問する機会があれば、コスプレサミットに関して「『犬夜叉』はお好きですか?」とお聞きしようと思っていましたが、叶いませんでした(^_^)。
学校経営については、実情に応じて裁量を多く与えられていると感じていますが、社会動向や教育行政の方針に目を向けずにして将来を担う子どもたちによい教育はできません。「SDGs(持続可能で、誰一人とりのこさない社会の実現)」「GIGAスクール」「ラーケーション」など、激動の時代に矢継ぎ早に出される施策の先を見通し、協働する姿勢が大切です。
8月8日(火)「紐付け」
マイナカードの普及を目指した政府の政策で、多く使われるようになった用語に「紐付け」があります。「便利」なような「怪しい」ような、その後の事態で印象が目まぐるしく変わっています。現在はどちらかと言えば後者の意味合いが強くなりました。国際社会(特に先進国)の中では、日本の情報化は遅れをとっている状況で、改善策の一つとしてあげられたのが個人情報「一元化」のためのマイナンバーカードです。先日鑑賞したスパイ映画の最新作では、この一元化により進化したAIが人間社会を支配しようとする展開でした。普及のためにメリットだけを強調しても、かえって怪しいと判断する賢明さ・慎重さが国民には定着しつつあります。福島第一原発の処理水放出も同様ですが、「改善」には、リスクが常に同居していることをしっかりと情報公開する潔さが、新しい施策では必要であることを教えてくれます。
8月7日(月)「あいち航空ミュージアム」
学校の社会見学候補として紹介された県営名古屋空港に隣接する「あいち航空ミュージアム」を自主研修しました。セントレアにある「フライト オブ ドリームズ」が飛行機のテーマパーク的な要素が強い場であるのに対して、こちらは名の通り、日本の航空史をふりかえられる展示内容となっていました。自衛隊や防災基地が隣接することもあり、商業施設とは異なる自由研究・調べ学習のふさわしい施設となっています。
8月6日(日)「下諏訪」
南知多町が姉妹都市交流事情を続ける「下諏訪町」ですが、コロナ禍を経て小学生5・6年生の本格的な交流事情が再開しました。「チャレンジの夏」として、本校からは6名の高学年児童が1泊2日の交流事業に参加しました。海とは違う山の自然・風土を体感し、夏のよい経験を家族や友達に伝えてくれることでしょう。貴重な体験の場を与えてくれた両町担当課の皆様に感謝申し上げます。
8月5日(土)「水泳教室」
昨日のトップページでも紹介した社会教育課主催の「町水泳教室」は、講師のN先生の話によると40年以上続いているそうです。海に囲まれた町にあって、夏の水の事故を防ぎたいという目的が設立時にあったことでしょう。体育での水泳の授業は、カリキュラムでは各学年10時間計画されていますが、着替えや準備運動等も含むと水の中に入っている時間は6~7時間で、これをもってスイスイ泳げるようになるほど、水泳は容易ではありません。自転車のように一度身につけば、体が覚えてくれますが、多くの子どもたちを観ていると、生来の得手不得手はあるように思います。専門性の高い講師に教えていただける水泳教室は、今後も継続していただけることを願うばかりです。
小学校の体育科では、競技というより、水中での運動として、息継ぎをしながら浮いたり潜ったり進んだりを楽しむことを覚え、だれもが水に親しむ夏のスポーツであることを期待します。プールのある日は、多くの児童が登校時の表情が違います。学校の大切なアトラクションであり、施設管理の報酬が、そこにあります。苦手なことにチャレンジしようとする子どもたちが町内から集まる水泳教室だからこそ、澄んだ水でよい思い出にしてほしいと願っています。
8月4日(金)「夏の月」
今朝4:20 月明かりに目が覚め、思わず撮影してしまいました。ギラギラとした太陽とは違い、月はいつも見続けることができます。表面の模様は、ウサギが逆さまになって餅つきしていました。きれいな星空を映すプラネタリウムですが、月に関してはズーム付きコンパクトカメラの方がきれいに見えます。まだ、どの国にも、誰のものにもなっていないようです。
8月3日(木)「体育実技研修」
教員として36年目となりますが、おそらく一番多く参加している研修が、夏休みに行われる体育実技研修(野球)です。雨天やコロナ禍で中止となった以外は、30回ほど参加し続け、地区や自身の体力によって変わる意義にモチベーションを高めながら参加させていただきました。初任から7年は、体力にも少し自信があったので、研修会前は1週間の練習会にも参加し、高校球児さながらに試合に臨んでいました。30代は、赴任した常滑市のチームの親睦を最優先に、他市町との交流(真剣勝負)を楽しみにしていました。この研修会が終わると、夏休みを実感する節目でもありました。先日県の出張先で、声をかけてくれた先生は、初任でお世話になったチームの後輩でした。30数年ねんぶりの再会に当時の記憶がよみがえり、夏休みの課題「素振り200回」のモチベーションが高まりました。
規模が大きく、多くの先生方の労の上に成り立つ研修会。日頃子どもたちには、ベンチから指示するだけの立場ですが、選手の立場を経験を思い起こすだけでも大きな価値があります。今年もよい研修の場となりますように。
8月2日(水)「どう生きるか」
昨日、教務主任M先生と愛知県社会科研究大会に参加しました。「生活に役立つ教科」として子どもたちから8割の支持を得ながら、好きな教科としては5割に留まる現状は、いろいろな選挙での投票率(=主権者意識)の低さにつながっている気がします。世の中の出来事(社会事象)を、いかに自分事としてとらえ、当事者として問題解決のために追究する学習姿勢を育てる必要があります。子どもたちに不人気な理由の一つに「覚えなければならないことが多すぎる」という声があります。暗記教科という誤解は、学習姿勢を、安易に知識理解で測ろうとしてきた(覚えられないのは努力が足りない)誤りにいきつきます。本来は、見えないもの(社会事象)を見定める力をつけ、主権者として公民的資質を高める(どう生きるかを適確に判断する)ことが目的の教科です。変化が激しく先行き不透明な時代にあって、既存の知識・経験則のみでは、子どもたちの将来に立ちはだかる課題を克服するのは困難です。課題解決の学びを楽しいと思える経験(自己有用感)こそ、予測困難な時代を生き抜く力となります。
また、実践発表者からは、重点単元として授業時間を多く割いてしまうことへの反省も上げられました。これからの研究は、教科間で時間を奪い合うことにならないように、限られた時間の中で、いかに成果を上げていくかも視点の一つとしていく必要を感じます。
8月1日(火)「区別の必要性」
近年名前で性別を図ることが難しくなりました。「男」や「夫」、「子」などの性別を意識した漢字が名前に使われなくなり、漢字も響きも男女の区別がつきにくいものが多くなっています。職員室でも名簿を見て「男女が分からない」と苦笑いすることが続きましたが、近年、男女共同参画やLGBTQの社会課題が表面化し、そもそも区別する必要があるのかと、男女混合名簿の導入となりました。最近は、部活動や運動会徒競走でも性差で区別しないよう取り組んでいます。トイレやお風呂など、性差を意識する場はありますが、日常生活の多くは男女区別が必要ありません。また、性差を区別する場を設ける時は、どちらにも属さなくて良い場(多目的トイレや家族風呂等)も用意する必要があります。男か女かを問われること自体をストレスと感じる人が1割程度いる調査結果もあります。赤ちゃんは自分の性を意識しないことから、性を区別するのは多数派が便利に生活しようと創り上げてきた慣習とも言えます。気付かない所で、マイノリティの人たちを傷つけていたことに気付いたからには、社会課題を改善する取組を進めるのは当然のことです。誤認や誤解は学び直して、「カミングアウト」という言葉が必要ない、だれもが生きやすい社会の実現に向け努力する姿を子どもたちに見せるのが大人世代の責務です。
*男女の区別は「女性を守るため」、「性犯罪の防止」などと主張する意見もありますが、人権問題と犯罪は別の問題ととらえないと根本的な解決にはつながりません。食中毒や感染症があっても食事はとります。交通事故の心配があっても、車の運転はする。大切なことは正しい知識を基にした寛容性と、問題解決に向けた協働的な取組です。
7月31日(月)「電車内のマスク」
ひと月ぶりに出張で電車を利用しました。5月下旬と変わったことは、マスクの着用率が100%近かったのが半減していることです。混雑していなかったこともありますが、知らない人でもマスクをしていない顔を見られるのは、警戒されていないようで嬉しいものです。名古屋駅に着き地下街では、電車内より着用率が少し上がった景色ですが、マスクなしの人が居場所がない雰囲気はありません。そういう自分も、多くは外していますが、TPOに合わせる意識は持ち、携帯は続けています。などと考え、帰りの電車で座っているとていると、目の前にノーマスクの小学校低学年くらいの児童が立ちました。「座る?」「ううん、いい」お父さんらしき人から、「ありがとうございます」とお礼を言われました。マスクをしていない笑顔が親子そろって爽やかでした。
7月30日(日)「リトルマーメード」
同じディズニー映画でも時に怖い存在として描かれる人魚ですが、アニメ作品同様ハッピーエンドの展開で安心してみられるCGを駆使した実写版がこの夏公開されています。美しい映像、主題歌を歌う主人公アリエル役の声優さんの圧倒的な歌唱力とテンポのよいミュージカル仕立ての展開も魅力で、小学生も安心してみられる映画となっています。実写版の「アラジン」「美女と野獣」、CGの「アナ雪」「モアナ」「リメンバーミー」など、近年ヒットするディズニー映画は、個人のサクセスストーリーというより、社会課題となりつつある従来の価値観を子どもたち若い世代が打破し、最終的に大人の世代が受容するものが多くなっています。「子どもの夢や希望を正解とする」姿勢は、過去のデータ蓄積から確率の高い答えを導くAIとは一線を画するものです。これからの人間の生きる価値は、そうした姿勢にあるのかもしれません。
7月28日(金)「管理人さん」
南知多町4校がお世話になる朝明茶屋キャンプ場、最近は学校利用の他、学童保育のデイキャンプやソロキャンプもあり、利用客が多様化しているそうです。そんな中でも、長年キャンプ場を営まれる最大の理由は、「子どもたちや先生の笑顔」だそうです。生活を送る場所と大きく異なる山の自然の中で、キャビンやバンガローの清掃、カレー作りやマス料理の食材や薪・炭の準備、キャンプファイヤーの井桁組みと火の始末まで、一つ一つの活動にすべて関わり、陰となって支えていただいています。それ故、町小学校としての利用は、30年以上続いています。Oさんご夫婦を中心に、同志で築かれてきたキャンプ場が、南知多町5000人以上の世代を超えた5年生の思い出に刻まれています。
7月27日(木)「カレーライス」
キャンプの食事といえばカレーライスが定番です。だれもがだいすきで、ほぼ失敗がありません。さまざまな食材を使うので、作りがいもあり、彩りも食欲をそそります。5~6人程度でつくる班では、かまど係と調理係に分かれ、チームで作業します。火起こしが無事にでき、飯ごうから沸騰した湯気が湧き出てくると一安心。みんな笑顔で「いただきます」ができます。自然の中では食べ残しはできるだけ避けたいので、お腹いっぱい食べたいカレーは、その点でもキャンプ飯のキングです。食後の一苦労は、飯ごうにこびりついたご飯をきれいにとることとカレー鍋についたカレー独特の油です。自然分解の洗剤ですが遠慮がちに使い、先生の「合格」をもらわなければいけません。ここでも班のチーム力が養われます。学校とはちがうたくましさを発揮する場面、子どもたちは1泊2日の自然協働生活の中で、さまざまな成長の芽を刺激され、少し逞しくなって「一番大好きなカレー」が食卓に上る家族の下に戻ります。今年もそんな野外教育活動したいと思います。
7月26日(水)「くらし」
先日でかけた美術館で、スタジオジブリ映画の主人公のくらしをまとめた本が販売されていたので、学校へのお土産にと購入しました。風の谷にくらしながら、よい風の使い手となるよう腕を磨き、一方で王である父の病気をよくしようと腐海の謎を密かに研究する姫様。東京郊外の自然豊かな古民家に引っ越し、変ないきものとの出会いに刺激を受けながら病気で入院した母の退院を待つ姉妹。室町時代、祟り神となったシシから村の娘を守るために闘って死をもたらす痣を負い、その訳を知るために西国へ旅をしながら戦いの中で「生きる意味」を問い続ける勇者など、それぞれにくらしがあり、観る人の心を打つ生き方をしています。学校教育では、小学校低学年に「生活科」があり、小学校3年生~中学校にかけては、「総合的な学習の時間」の中で、身の回りの問題に対して「どう生きるか」を自身に問い、自分も周囲も幸せになる方法を探究する活動があります。福祉実践教室のテーマでもある「ふだんの くらしのしあわせ」がいかに大切かを、身近なところで学ぶことができます。最近流行の言葉で言えば、「ウェルビーイング」です。

7月25日(火)「掌」
この夏は3つの作業で掌がたくましくなれそうです。一つ目は、プール掃除。来週からはじまる町水泳教室のため、毎日1時間ほどプールに入ってデッキブラシやゴムブラシでプールの底や壁面を擦っています。体育の授業でプールを使わなくなって、3週間ほど人が入らないため、油断していると藻や苔が生えてしまいます。8月4日(金)の水泳教室終業まで続けます。二つ目は、運動場の草取り。終業式の話の中で、子どもたちに「チャレンジする夏」を呼びかけ、校長は、運動会に向けて夏休み中も草取りをすると宣言してしまいました。今日は、少人数指導のS先生や業務補助員のOさんにも手伝ってくださいました。目に見えてきれいになるには、もうしばらく時間が必要ですが、草がなく水はけのよい運動場で2学期を迎えたいと思います。三つ目は、一日200回の素振りです。1㎏のマスコットバットを一日100回振ることはこれまでも週に何回かはしてきましたが、200回×40日=8000回にチャレンジと、これもまた口を滑らせてしまいました。今日で5日目で1000回を通過しましたが、100回とは異なり手の皮があちらこちらで悲鳴を上げ始めました。プールに入った時にしみないように、加減しながら公言した約束は果たしたいと思います。いい年(58歳)をして、改めて人間の掌の大切さを実感する夏休みです。
7月24日(月)「高校野球」
22日(土)岡崎美術博物館に隣接する岡崎レッドダイヤモンド(野球場)で行われたベスト16を争う試合を観戦しました。予定にはありませんでしたが、スタンドから響く応援が美術博物館にも届き、ついつい入場ゲートに向かって歩いていました。試合は9回まで進んでおり、1:1の同点。受付で入場料を払おうとすると、「もういいから、応援してあげて」と、通してくださいました。どちらも応援したかったのでネット裏の真ん中付近に陣取り、9回表裏の攻防を観戦。プレーに一喜一憂する応援団も、全力プレーでした。同点のまま9回を終え、特別ルールで10回はノーアウトランナー1、2塁からスタートしました。表チームは1点をとりましたが、チャンスでスリーアウト目となったバッターが投手で、もう1点とれなかったことに悔しさを隠しきれない表情が気になりました。案の定、その裏は、味方のエラーも出て、すぐに同点に追いつかれ、流れを止められずに最後はタイムリーヒットでサヨナラ試合となりました。「1点とれば大丈夫」と、悠然とマウンドに向かえばよかったのですが、それが出来ないのが高校生。敗戦も人生と糧として、野球を続けてくれるでしょう。高校野球予選(地方大会)は敗者が主役。試合後のベンチ裏の姿は、どのチームもドラマチックで輝いています。
7月23日(日)「美術館・博物館」
夏休みに子どもたちに訪れて欲しい場所の一つに美術館や博物館があります。知多半島には数が少ないため、見学には一足伸す必要があります。昨日岡崎美術博物館に、今日は浜松城公園に足を伸しました。共通しているのは、大河ドラマ「どうする 家康」にちなんだ特別展が催されていることです。賑わいがありましたが、入館を断念する程ではありません。現存する資料と史実に基づく分析で、家康研究は進んでいるはずですが、いわゆる教科書の人物像とは異なり、大河ドラマでは周辺の人物の描き方を含め、家康当人も「普通の人間の迷い」を重ねて、天下統一を果たした姿を描こうとしています。また、浜松城公園内にある浜松市美術館では、ジブリ映画の美術担当として原画制作に大きな貢献をした山本二三(にぞう)氏の特別展をしていました。ジブリアニメ独特の手書きの奥深い描写(背景)が、どのように描かれていたのか動画展示もあり、こちらも多くの人が訪れていました。教科書では学べない、本物に触れる体験を、ぜひこの夏に・・・。



7月22日(土)「判決」
過日教員の過労死を巡る裁判で、部活動を、職員に対する校長の安全配慮義務が生じる「勤務扱い」とする判決が下されました。公務員の賃金を抑えるため正規教員の勤務時間は、業務は減らされないまま8時間から7時間45分に減らされ、児童生徒が登校するギリギリの時間(本校は8:20)に設定しても、5時前には勤務が終了することとなります。その中には、労基法上45分間の休憩時間を設定する必要があり、知多地方の多くの学校は、給食後に15分、部活動の時間と重なる16時台に30分の休憩時間を設定しています。休憩時間に児童生徒の部活指導をしていることになり、コンプライアンスが求められる公的機関の学校において、労働安全の面では法令遵守しているのか?と疑問を投げかけられる状態といえます。これまで、部活動は教員の任意(校長の指示外)の活動とすることで保ってきましたが、教育的意義の高さとは裏腹に、時間外が常態化する大きな要因となってきました。この状態を改善するため、今後は、小学校だけでなく中学校においても全国的に部活動の「地域移行」が加速するものと思われますが、過渡期にある子どもたちが被害者となることは避けなければなりません。国、値自体は、部活動に代わる受け皿づくり、指導者確保、教員の調整手当の見直しなどの策を講じようとしていますが、予算化と人材確保のハードルは低くありません。子どもたちが仲間とチャレンジする実践の場を、公的に持続可能な体制をつくる知恵が大人に突きつけられています。
*労基法を守ることは教職員の安全安心な職場のために必要。また、教職員の残業(超勤)として扱える業務に、部活指導は含まれません。任意のボランティアとして指導できる教員もいますが、勤務時間内に設定は不適切で、勤務終了後となると子どもたちが活動しやすい時間帯とズレが生じ、また教員の在校時間はより長くなるという問題が生じます。
7月21日(金)読書感想文2「学問のすすめ」
言わずと知れた福沢諭吉の書ですが、先日著名な教育学者の斎藤孝氏が大人向けに分かりやすく現代文にまとめた本を隣町の図書館で見つけました。福沢と言えば、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という平等思想が有名ですが、その真意は、「人は平等の権利をもって生まれてくるのに、学問のある・なしによって、仕事や生活、やりがい、幸福感まで、大きく変わってくる。平等であるために、学問が必要であり、一人一人が社会に役立つ学問を選び、独立の気概(自分らしい生き方)を追究することが大切であると、理解しました。外圧もあり、歴史小説家の司馬遼太郎氏が「明治という国家」と表するほど、江戸から文明開化の明治へ時代が劇的に変化します。その中にあって、若者に「学問」という武器を奨めた先見性は、お札の顔になる人物にふさわしいと感じました。「勉強しなさい」と言われると抵抗がある人も、「学問」となると「やってやろうじゃないか」と意欲的になります。その理由は、課題設定の自由度・主体性にあると思います。夏休みはまさしく「学問」ができる期間。書の中では、「独立の気力」という言葉が使われ、それがないと、「人に依頼し、人を恐れ、人に諂う」としています。自立しているからこそ、社会の中で自分らしくいられる。学問の追究は、それを支えるツールであると、”携帯”の必要性を再認識しました。
7月20日(木)「職員作業」
子どもたちが一斉下校した後、給食がない日に食べるお弁当より少し豪華なお弁当を頂きました。少しの休憩を挟んで、午後は職員作業です。場所は、厚生室と理科室・理科準備室。厚生室は昔の宿直室として活用されていましたが、現在は一時的な物置部屋で、少しずつ使いきれなかった多種多様な物品が運び込まれ、楽屋裏のような状態となっていました。理科準備室も同様で、備品点数は体育科とならぶ多さ。指導内容の改定で使わなくなった教材も多くありました。校務主任K先生の音頭で、2班に分かれた教職員チームがそれぞれに機転をきかせ動く姿は、まさしく子どもたちのお手本でした。子どもが真ん中にいる学校ですが、大人(教職員)でしかできないことも多々あります。夏休みは、教職員チームが団結力を再認識する期間でもあります。みさき小教職員のチームワークを改めて頼もしく感じました。「お疲れさまでした」
7月19日(水)「ラーケーション・バケーション」
昨日、ご案内文書を配付しましたが、導入時の学校現場は、授業計画や給食カットなどで影響のあるラーケーションに消極的な面も少なからずあります。子どもの教育・学びの場を学校が丸抱えするのではなく、ご家庭でそれぞれ「個別最適な学び」を考え、場を設けることは子どものウェルビーイングにつながることは確かです。もとは、繁忙期を分散させる経済効果を期待した政策という見方もありますが、子どもの学びにマイナスにならないように、位置づけをしっかりしていく大人の見識が大切です。実践例はこれからの蓄積となりますが、当方がイメージするラーケーションの使い方例は以下のとおり、「学校の授業」の発展やできない学びを織り込む家族の時間としていただければよい時間となります。PTAとしても情報をまとめ、共有できればと思います。
例)自営業のお手伝い、家族の見学を受け入れている工場見学、動植物園・水族館・美術館・博物館・科学館等の見学、海水浴やプール体験、スポーツ観戦、キャンプ・修学旅行事前旅行もしくはパート2、休日は混んでいたり高価な観光地の家族旅行、登山・船旅、中学や高校の授業参観体験、地下鉄体験(バス・電車でGo!)、・・・いかがでしょうか。
*子どもはお客様ではなく、計画に主体的に参加すること、一緒に行ってくれる家族に「配慮と感謝」をすることが意義を高めます。これは、夏休み中の生活にも共通することです。
7月18日(火)「大切なお土産」
下校時に軽い体調不良を訴えた児童の熱中症が心配であったので、下校に付き添いました。歩くだけで汗びっしょり(WBGT計測器は危険領域)で、低学年には背負う鞄がいつも以上に重そうでした。少し軽くしてあげようと持ち上げると、横のかばんに学年園で収穫したピーマンとオクラが見えました。がんばってもちかえることが、その児童の下校のモチベーションになっている気がしました。いつも下校時刻に出迎えてくださる母さんに引き渡し、もう一人の心配な児童の通学路へ向かいました。上級生に前後で挟まれるように付き添われてあと100mほどで家に着く場所で出会いました。手には広告でつくった袋を抱え、中にはやはり収穫した野菜がありました。「○○くんは、オクラ好きなの?」「・・・」「おうちの人が好きなんだ」「うん」「きっと喜ぶね」足取りがしっかりしてきます。「がんばったね。じゃあ、さよなら。また明日ね」「うん」
また少したくましくなりました。
7月16日(日)「学校を変えよう!」読書感想文
(恥を忍んで拙文を紹介します)
11日紹介した1999年発行NHK出版発行の番組ドキュメンタリーを読み終えました。当時は、「学校5日制」の前で、3年生以上の学習で定着している「総合的な学習」もありません。加熱する受験競争、増加する不登校や生徒指導問題等、様々な学校問題を解決するためにいわゆる「ゆとり教育」の検討を始めた頃に重なります。番組は、こうした状況を踏まえ、中高生と先生、中高生と文部省(当時)大臣の討論を、生放送で14時間放送しており、NHKの本気度が伝わってきます。長時間番組に耐えられるよう、司会・ファシリテーター役も、江川紹子氏や池上彰氏(当時 NHK記者)を起用し、適切な舵取り役をこなしています。読み進めるうちに、当時かじりついて観ていた当方の記憶もよみがえり、子どもたちの真剣な訴えを受け止めきれない大人たちをはがゆく、心許ない気持ちが湧き起こったことを思い起こしました。番組から四半世紀近く経とうとする現在、文部省が打ち出した肝の政策「ゆとり教育」は、その後の学力低下で批判の的となり、死語となりました。その後学校5日制は維持したまま、授業時間数が復活して、平日の授業に「ゆとりがなくなる」新たな課題が生じました。また、総合的な学習の時間に加え、外国語や道徳の教科化、キャリア教育、ICT教育の推進等、授業として指導する内容も社会情勢を踏まえ大きく変わり増加の一途です。教職員定数はほぼ変わらないまま、「団塊の世代」の大量退職と教員の職務の大きな変化が重なって、多忙化が一層進み、先生の休職や退職、教員不足が学校力維持に大きな課題となっています。さらに、教員の資質向上を期した「教員免許更新制」は、さまざまな問題を残して制度として廃止され、「研修履歴」の記録に置き換わりました。こうした状況は、1999年当時の議論でも予見されておらず、コロナ禍を例に先の見通せない社会にあって「学校を変えても」新たな課題に直面し、右往左往する教育史であったということを、この書は教えてくれます。責任を押しつけ合っていても、ただ嘆いていても問題は解決しません。「学校も教師も悪い。家庭も子どもも悪い。しかし、ちゃんと組織化されているのは教師と学校だけなので、逆に言えば一番希望のもてる場所だと思うのです。変えられると”希望があるところ”が、学校なのです」(討論に参加した高校生)の言葉を引用して書を結んだ池上氏と当事者である子どもたちの本質を見抜く力に学ぶことが多くありました。「どうする先生」「どうする大人たち」、子どもたちから、社会を担う大人の力が試され続けています。
7月15日(土)「わかって!」
私事ですが休日なのでお許しください。精神年齢が「永遠の5歳」の末っ子(室内犬)は、ときどき吠え出すことがあります。①お客さんが家に入ってきた時(家族内序列混乱への警戒)、②庭にいる鳥や猫を見つけた時(自由への嫉妬?)、③シートのトイレで便をしたのに家族が気付いていない時(できたことを褒めて欲しい)など。それぞれに対処の仕方があります。①は、あらかじめ分かっている時は、抱きかかえて外で待ち、お客さんに先に家に入ってもらうと縄張り意識が低下する。②目障りなようなのでカーテンを閉めて見えなくする。③すぐにかけつけ、トイレ処理ルーティン(定位置に移動→ほめながら体を拭いてあげる→シート交換)で安心させる。概ねこの3つのケースで対処に困ることはありません。それぞれの対処ができない場合に手っ取り早い対処法が「だいすき」と言って抱きしめることです。興奮状態が収まり、安心したり関心が他に移ったりするので効果てき面です。よく考えれば人の子も同じかもしれません。泣く、怒るの感情表出で多くは、「分かって欲しい」という気持ちが根底にあります。・・・と、入力していたら吠え出しました。「父さんはいつも○○のことをだいすきと思っている」と抱きしめます。・・・ペロッと手を人舐めすると、丸くなって収まりました(^_^)。人の場合は、こうはいきませんが。
7月14日(金)「予算要望」
次年度以降の教育に関する予算を町に要望する機会が町PTA連絡協議会と町校長会で2回設けています。先日のPTAは、主に通学路など子どもたちの安全安心に関する要望を、町教育委員会や道路などを管理する各課、警察等の担当者に行い、回答をいただきました。
昨日は、町校長会としての要望で、各校および教務主任、校務主任、養護教諭、学校事務のそれぞれの立場でまとめた現場の声をお届けしました。いつも学校現場の状況をアンテナ高く把握し、フットワークよく改善に取り組んでいただいていますが、予算については町財政との関係もあり、要望がすぐに改善につながらない場合もあります。大切で限られた税金の使い道として、子どもたちの笑顔、保護者・地域の願いにつながる教育予算の執行を学校現場は心がけなければなりません。
<要望例>
☆トイレの洋式化・多目的トイレ設置 ☆校舎施設のバリアフリー化・老朽化対策
☆ICT機器・デジタル教材の活用推進 ☆学校教育予算の確保 ☆プール清掃業者委託
☆ALT,学習生活支援員等の人材確保・拡充(チーム学校体制)
☆両島教職員の処遇改善(教職員住宅、駐車場、公用車等)
7月13日(木)「もったいない」
学校施設は、ふだんは子どもたちの活動に支障がないように安全安心を優先に、利用計画が立てられます。一方で、社会教育施設としての機能も有し、運動場や体育館等「(学校教育)目的外使用」として、校長が借用に支障がないと認めれば、限定的にお貸しすることもできます。施設維持で損害を与えた場合は原状復帰が前提となりますが、公共施設は「利用があってなんぼ」の側面がありますので、子どもたちが活用しない時は、地域の皆様にも有効に利用していただきたいと考えています。
児童数減少で施設には少しゆとりがあります。また、旧師崎中学校からの移設で特別教室へのエアコン設置も進みました。さらに、来週から町社会教育課の水泳教室がはじまる前は約2週間、プールを使用しない期間が続きます。もったいないので、地元の宝としてWINWINの有効活用法はないかと考えてしまいます。
例)図工室で「ものづくり教室」、理科室で「地域カフェ」、プールで「親子水泳教室」
音楽室で「リコーダー教室」
7月12日(水)「新戦力」
教職員の多忙化解消と、子どもたちに一層安全安心な学校環境を維持するため、今年度町学校教育課より「業務支援員」1名の配置していただきました。昨日面談し、本日から一日2時間(週2~3回)環境整備を中心に職員作業の補助をしていただくことができます。当面は、ハチやヘビ、ムカデを遠ざける除草や樹木剪定、児童の活動で手の届かない場所の清掃やプール管理など、学校をよりきれいにする作業でご尽力いただきます。通常は職員の作業でしたが、こうして生まれた時間で、教師が子どもたちに向き合う時間を生み出すことができます。「業務支援員」さんの一助で、先生たちは教員免許という資格を生かす仕事で、子どもの育ちに寄り添う本来の務めを果たせます。多様な専門性をもつ職員・協力者で成り立つ「チーム学校」は、学校が抱える課題改善するために欠かせないシステム。新たな戦力の加入に感謝の気持ちです。
*新業務支援員のOさんは、元内海中学校用務員として、校長、校務主任K先生と一緒に汗を流した方です。学校の事情をよく知っており、面談を終えて、校舎案内をしていると、「フェンスにからみついたつるを取りたいですね」と早速気になる箇所に目を向けて見えました。たのもしい限りです。
7月11日(火)「多読賞」
あじさい読書など、図書キャンペーンを展開し、本好きの児童を増やそうとがんばっている図書委員会は、各学期で多読賞を設定しています。1学期は、各学年の目標冊数を6割近くの児童が達成していました。開館日数で考えると一日1冊ほどの数を読んだ児童もおり、そのがんばりに頭が下がります。本は「知識の泉」と言われますが、心情が豊かになること、何より本の世界を楽しむ力が、いろいろな場面で生きる力につながることに大きな価値があります。多読賞は、「出会った本の数」を讃える賞。すべてに読書感想文は書けませんが、読んだ感想を残しておきたい良書であったら、ぜひその感動を、この夏の読書感想文に記してほしいと思います。次の場面・記述を想像しながらめくる時間は、ページの数だけ与えられます。
*今当方が手にしている書は、「学校を変えよう!」(1999年 編著者江川紹子・NHK少年少女プロジェクト)です。 当時記者だった池上彰氏が、巻末で所感を述べています。その後20余年を経て、学校はどう変わってきたかを比較しながら、恐る恐るページをめくっています。読書感想文は、後日記したいと思います。
7月10日(月)「哲学」
図書館で借りた本2冊目の紹介は、「むかしむかしあるところに、哲学者がやってきた」という長いタイトルの書籍です。社会科の教員であれば「昔話法廷」というNHK教育番組は、6年生や中学生公民分野の教材として知られたところですが、昔話に現代の法律ではなく昔ながらの「哲学」で切り込むユニークな内容でした。日本の昔話は、桃太郎にせよ、浦島太郎にせよ、鶴の恩返しにせよ、「勧善懲悪」の教訓というより、人それぞれに解釈の違いを生じる哲学的な内容のものが多くあります。桃太郎の話に切り込むのは、ジョン・ロック、サルトル、マキャベリ、デカルト、パスカル、そしてアリストテレスという著名な哲学者です。それぞれの主張で、「桃太郎」の解釈が大きく揺れ動いていきます。
読みやすさは中学生、内容は高校生以上向きですが、多様性、価値の転換が当たり前の現代において、多面的多角的な見方を楽しみながら問う良書でした。
*「何が正義かは、バランスで決まる」(by アリストテレス)
7月9日(日)「子どもまちづくり」
久しぶりに隣町の図書館に行きました。本町は中央図書館と言える場所がないため、利用している町民も多いと思います。玄関には図書館主催の講座で参加者がつくった作品展や七夕の飾り(来館者は自由に願い事を短冊に記入できる)もあり、「心育館」の別名にふさわしい運営がなされていると参考になりました。
図書カードを更新し、夏休みに向けて8冊本を借りました。その中の一冊が子どもが中心となったまちづくり実践録です。内容について読書記録の代わりにいくつか事例を記します。
①こども110番の機能を生かした安全なまちづくり・・・こどもたちの主体的な参加
②遊び場校庭開放・・・放課後の安全な外遊び場&子ども主体の管理
③放課後カフェ・・・地域の交流拠点としての学校
④空き教室を地域に(コミュニティ・ルーム)・・・生涯学習・社会教育施設としての学校
⑤子どもがつくる公園・・・利用するだけでなく感謝を行動に
⑥放課後のたまり場・てづくり塾・・・学校外の居場所
⑦通過儀礼としての地域行事・・・地域に誇りと愛着、子どもの成長を地域で見守り祝う
本校・校区で取り組んでいるもののいくつかあり、心強く感じました。すべてを進められる訳ではありませんが、いくつかヒントに子どもたちに提案してみようと思います。
7月8日(土)「七夕」
子どもの頃より夜空は確実にきれいになっているのですが、LEDの普及と老化による視力の衰えも相まって、夜の町が明るくなり星はかえって見にくくなっていることを実感します。梅雨時は、夜の散歩でも星を確認できることが減りますが、月や金星に加え、夏の夜は、さそり座(アンタレス)やはくちょう座(デネブ)、わし座(アルタイル)、こと座(ベガ)など、理科の天体の学習で習う一等星が活躍します。前述の理由で、天の川(ミルキーウェイ)は確認しずらく、加えて昨夜は小雨模様で、ベガ(織り姫星)・アルタイル(彦星)を見ることもできませんでした。七夕に限らず、「夢は膨らみ、悩みは小さく感じられる」星を眺める時間を大切にしたいと思います。
*10年以上続ける夜の散歩で一度だけ「火球」を見たことがあります。地球と宇宙とのつながりを感じ、願い事ができなかったことを悔いることはありませんでした(^_^)
7月7日(金)「煙草」
先日の出張先で久しぶりに店内で煙草のにおいを嗅ぎました。給食を食べられずに学校を出たの出張先の公共施設の喫茶店でランチを食べていた時に、後から入ってきたご高齢の方が煙草を吸い始めました。よく見ると、すべての席に灰皿があり、禁煙のお店ではないことが分かりました。嫌煙ではありませんが、「分煙は?」「禁煙条例は?」と、疑問に思いました。喫煙されていた方も一服で食事に移られたので、後から入られたお客さんも普通に過ごしていましたが、路上喫煙も取り締まる中で、少し違和感が残りました。
子どもの頃は父親が愛煙家で、夕食時の居間は煙草の煙で充満していました。大人の男性の大半は喫煙する世代でしたので、幼なじみの多くも喫煙するようになりましたが、当方は、もともと低い運動能力が下がることに抵抗があったので煙草には手を出しませんでした。就職しても、先輩教員から「何、煙草やらんの?」と勧められましたが、ここまで吸ってないので、「はあ、まだ吸う資格がないので」ととぼけて断り続けました。
時代は受動喫煙の健康被害から、一気に喫煙場所を制限する方向へ転換しました。学校保健では、薬物乱用防止教室で、煙草とアルコールを健康を害する「薬物」に含んだ指導をしています。自分だけでなく周囲の健康にも大きな影響を与える煙草は、若くなるにつれて嗜まないので、最近は「高齢者の文化」という印象です。時代の変化で、価値観は180度転換(コペルニクス的転回)することがあります。
7月6日(木)「燕雀安んぞ鴻鵠の・・・」
「燕雀(えんじゃく=小さな鳥)安んぞ鴻鵠(こうこく=大きな鳥)の志を知らんや」は中国の故事成語で、小人には大人の気持ちなど分からぬと嘆く言葉です。時代は大きく異なりますが、日本では信長が「大将の胸臆は、衆人の知るところにあらず」と似たような言葉を残しています(万年暦 戦国武将カレンダーより)。前者は、当方が大学の頃にであった言葉で、秦(中国)に初めて反乱を起こした野心的な人物の言葉を、当時は肯定的に捉えていました。信長の言葉は、関ヶ原で買った自身へのお土産で最近知ったものですが、2つの言葉の捉え方は加齢と供に異なり、「(二人とも)だから、志半ばで家臣の反乱を招いた」と思うようになりました。大きな夢や目標は、一人では為し得ず、独善的な振る舞いは、かえって目指す場所から遠ざかることを歴史は教えてくれます。小事は一人でもできますが、「大事は一人では叶えられない」ことを肝に銘じ、心通わす同志・チームをつくること、現代ではWBCの優勝などスポーツ界の功績が教えてくれています。
7月5日(水)「研修」
教員の義務である「研修」は、「研究」と「修養」を合わせた言葉です。実態を把握し、仮説を立てて真理に迫る「研究」。想定外を含め様々な困難を克服する力・人間力を高める「修養」。どちらも、「先生」と呼ばれるために必要な要素で、子どもたちとともに学び続ける姿勢の大切さは、ずっと以前から教員研修などで言われてきたことです。
昨日、6年生担任のH先生に協力してもらい修学旅行のアンケートをとりました。旅行直後の興奮から少し時間をおいて、冷静に一泊二日をふりかえられる期間をおいて、来年度の6年生のために、「いってよかった場所や活動」を4段階で評価してもらいました。「法隆寺」「平城宮跡」「東大寺」など、どの場所や活動も満足度が高く、次年度に継承してよい評価でした。特に「内海小学校との交流会」「夜店の買い物」「バスレク」など、歴史遺産の見学と同レベルの評価であったことが、「何を見るか」に加え「だれと見るか」「どう活動するか」といった人的要素が価値を高めること示唆しています。「タクシーの運転手さんがていねいで親切だった」など、一期一会の機を肯定的にとらえ、思い出にしたたのもしい児童もいました。
改めて、「教育は人なり」を実感し、研修により子どもたちの前に立つにふさわしい人材にならねばと肩に力が入りました。(実際子どもたちの前に立つ時は、力を抜いている方が受け入れられますが・・)
7月4日(火)「プール」
今年の夏はお天気の周期に恵まれ、水泳指導が順調に進んでいます。プール開き前に苦労した推進管理も、プール掃除後は大きなトラブルもなく、いつも透明できれいな水が子どもたちを待っています。プール管理は、設置校にとっては大きな負担となりますが、子どもたちがプールを楽しみに登校する姿を見ると、毎朝の労が報われます。今年も町社会教育課が水泳教室を本校プールで行うことが決定しており、8月上旬まで水質管理は気が抜けません。遊園地で言えば、プールはジェットコースターのような人気アトラクションです。統合校として、旧師崎小学校を受け継いだ理由の一つに町内でも比較的新しいプールの存在があります。老朽化が進み他市町では消えゆく学校プールですが、逆にみさき小学校の教育の特色として、町社会教育課と協働で大切に守っていきたいと思います。
*プール管理費として、学校教育課の他に、社会教育課から塩素系薬剤費の購入を支援していただいています。
<昨年度の水泳教室の様子>
7月3日(月)「わくわく」
今日は、町内小中学校の特別支援学級の交流(わくわく交流会)で、本校からは9名の児童と2名の担任の先生が引率で参加しました。以前からこの日を楽しみにしており、他の小中学生との交流や常滑での「泥団子作り」「空港見学」を終え、充実した表情で帰校しました。
十数年前篠島小学校特別支援学級を担任した際に、「町内小中学校特別支援学級交流会」があることを知りました。名前が固いイメージでしたので、その当時新設した篠島小学校の特別支援学級の名前を引用して、企画担当として「わくわく交流会」と名付けて各校に案内を出しました。その後、内容は毎年改善されていますが、名称が受け継がれています。「特別」ではなく、当たり前の子どもたちの交流の機会として、「次はどこへいく?何をする?」とわくわくとした楽しみであり続けること願っています。
7月2日(日)「忙中の閑」
地元愛知から全国展開するチェーン店もあれば、外資系でおしゃれな店舗と季節限定ドリンクで若者が行列をつくってレジを待つお店もあり、日本社会でCAFEの存在が大きくなっています。少し前からは、コンビニエンスストア各社が看板商品として売り出し、それまで客層として薄かったおじさん世代の利用を増やしました。その世代の当方は、珈琲の味やサービスがコンビニの評価のひとつにするほどです。今日は、東三河からの道中で立ち寄った本屋さんに併設する喫茶店で小休止しました。チェーン店ではありませんが、手作りパンが充実しており、飲み物とともによい昼食の時間をいただきました。購入した書籍を読みふけったり、数人の友人で歓談したりする人たちで、いつも適度に賑わっています。CAFFEE BREAKという言葉があります。忙しさで心を亡くしてしまわないように、少し立ち止まることも大切。「お茶ができる」平穏な日常が続くことを願い、また繁盛するお店からは学校経営のヒント(接遇や環境づくり)をいただきながら、休日を過ごさせていただいております。
7月1日(土)「PTA」
学校教育を側面から支援する保護者と教職員でつくる組織がPTAです。会長職は保護者で、多くの学校で校長以下学校四役が役員の一役を担い、教頭が事務局を務める組織となっています。PTA自体の存在意義を問う声もありますが、学校教育に、教職員だけでなく保護者が積極的に関わるシステムを維持継続していくことの意義は、数値に表われない成果となって子どもたちの教育環境を守っています。
近年は女性会長も珍しくなく、今年度の町内小中学校PTA会長は、7校中4名が女性となりました。男性のPTA会長が、よくご挨拶の中で謙遜気味に「会長になるまでは、ほとんど学校に来たことがなかった」「先生のことを知らなかった」と言われます。女性の場合は、授業参観はもちろん、各学校行事や個人懇談会など、母親として年に何度も来校され、学級担任とも関係ができている場合が多くあります。会長職としてのスタートラインにアドバンテージがあります。日本の家庭教育の課題でもありますが、時代は男女共同参画からジェンダーフリーの社会に移行しつつあります。そもそも性差を会長職で意識すること自体が「時代遅れ」。LGBTQの課題も含め、「男女が問われない日常」に歩みを進めるPTAであることを願います。
*校長あいさつでは、「PTAは、保護者と教職員でつくるクラブ(サークル)活動」「主体的に、できることをむりなく、楽しみながら」という気持ちを伝えています。「毎年やっているから」「学校からお願いされるから」といった受け身ではなく、「子どもたちのために~してあげたい」「~したら楽しそう」という心持ちでPTA活動を進めて参りましょう。