主体的・対話的で深い学び②-2

12月19日(土)

前回「対話的な学び」について紹介しましたが、その場を指導・支援する教師の姿(ファシリテーター的存在)も変わってきますので、今回はその辺りにふれていきます。

ファシリテーター的存在とは・・・学校では、ここ数年授業研究などで浸透している言葉です。話し合い活動を例にとると、あらかじめ定めた目標にまっすぐに話し合いの方向を引っ張るリーダーではなく、参加者一人一人の意見を引き出し、総意を創り上げていく役割となります。指導者というより「支援者」と言った方が的を射ているかもしれません。コロナ禍にあって、「学芸会をどうしていくか?」という話題で話し合ったとします。ファシリテーターは、個人の考えや方針は発言せず、「Aさんはどう思いますか?」「Bさんは、Aさんの意見をどう思いますか?」「Cさんは、参加される保護者の気持ちをどう思いますか?」など、発言者一人一人の意見を尊重し、互いの関わりを深めながら、多面的な見方・考え方により、よりよい納得解が導き出せるよう努める役割です。知識偏重の教育の際は、テンポや歯切れのよいクイズ番組の司会者(正解を告げる役)のような教師が、子どもたちからもわかりやすく支持されていました。しかし、初めから解き方や答えが決まっている問題を扱う学習で身につける力には限界があり、社会に出て「授業で習わなかった問題」に直面した時に解決する力にはなりません(現に、こうしたクイズ番組は以前に比べめっきり減りました)。「(この問題に対して)あなたは、どう思いますか?」「解決のために何が必要ですか?」「君は、どう取り組みますか?」というように、学習者自身が答えを見つける過程を支援する役割が、現在の教師に求められています。その充実には工夫と時間が必要な一方で、学習の主体者は子どもなので、学習成果を「先生のおかげ」とは感じません。「(そのときは)自分たちで解決した」と思わせる学びが、達成感・充足感を高め、次の学びへとつなぐエネルギーとなっていきます。そのことを理解し、高まった学びの集団では「そっと支援できる」ことが教師の大切な資質になっています。限られた時間内の活動であり「見通し」は大切ですが、心がけるキーワードは「信じて、待つ」ことです。

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