6月4日(金)
本来は昨年夏、日本で世紀のスポーツの祭典が開かれる予定でした。日本選手のみならず、世界中からやってきてくださるすべての国・選手を歓迎し、日本人らしい“お・も・て・な・し”や“東日本大震災からの復興”を記憶に留める大会となるはずでした。また、その後に予定されているパラリンピックは、世界的に見て日本で遅れがちなバリアフリーやユニバーサルデザインの推進の契機となり、障害の有無で差別されない社会の実現に寄与するはずでした。
残念ながら、コロナ禍によって社会は分断され、オリンピック・パラリンピックの開催への期待の声は発しにくくなりつつあります。主催者の組織委員会からは「(コロナ禍で)分断された世界を、スポーツの力で再生を図る機会に」という目的が付け加えられています。世界中のトップアスリートは、オリ・パラの向けてひたむきな努力を重ね、日本が他の候補地を抑えて勝ち取った「開催地」としての国際的な約束が守られることを信じています。さまざまな意見があってよいと思いますが、現代に生きる大人たちのスガタを、自分たちには決定権のない子どもたちがまっすぐな眼差しで見つめていることも忘れてはいけません。開催をあきらめた場合の子どもへの影響(虚無感)の大きさは計り知れません。。
学校では、先日4年生以上の全児童が選手・応援で参加する陸上大会(校内記録会)を実施しました。子どもたちから“スポーツの祭典”の素晴らしさを改めて教えてもらいました。(文責 校長)