8月24日(火)
今日から世界中の障害者アスリートが集うスポーツの祭典、パラリンピックが始まります。生まれつきや病気や事故などで、一部に障害がある人たちがハンディを乗り越え、純粋にスポーツを楽しむ姿は、健常者のオリンピック以上に子どもたちに目にしてほしいシーンです。「障害は、社会がつくる」という言葉があります。偏見や差別などの無理解のほか、機能を補う器具が利益が上がらないからと開発が進まない現状も指しています。多くの人が利用する眼鏡やコンタクトレンズ、補聴器(イヤホン)などが、どんどん進化・安価になる一方で、駅などのエレベーターの普及は進まず、車椅子も自転車のようには一般的な活用が広がっていません。器具さえ整えば、男子走り幅跳びドイツ選手のように、オリンピックの記録を超える力を発揮できる選手もいます。パラアスリートの競技以外の声にも耳を傾け、「ふだんの くらしの しあわせ」が、障害の有無関係なくいつも感じられる社会になる起点となる祭典となることを願っています。 (弱視の方への配慮として、背景色を濃くした表示にていいます)
*コロナ禍、開催自体を否定する声もあります。多様性や多面的な価値観を大切にする社会では、大切な意見です。五輪選手同様、人生をかけて東京大会をめざしてきたパラアスリートの願いが叶う場を整えるのは、日本がした“国際的な約束”でもあります。コロナ禍を乗り越えるのも、障害を乗り越えるのも、同じセンスが必要です。いろいろな意見をまとめ、是非の意見に折り合いをつけながら、様々な問題を「乗り越える」東京大会となりますように・・・。