校長室だより「海っ子」スピンオフ~大人の自由研究~

12月25日(土)

先日、大倉庫の大掃除をしていたたんぽぽ学級A先生がみつけた鳥瞰図。破損していたり、虫のたまごが付着していたりと保存状態はよくなく、市場価値がある訳ではありませんが、社会科として、制作の意図を探りたくなる好奇心をそそられる資料です。

知多半島を南方上空から眺めた構図ですが、特に大きく詳細に描かれているのが内海地区でした。住宅地は東端区と「西岸寺」一体の西端区が主で、西には地元で「御岳」と言われる神社やサンドスキー場も描かれ、野間への道は現国道の海岸線ではなく、岡部地区を抜けています。北側は、通称山寺と言われている「持宝院」があり、保小中の地震津波避難場所(高台)の一つである「秋葉山」に続く道がしっかりと描かれています。学校は、現内海中学校や旧内海高校(現町民会館・防災センター)はなく、本校のあたりに校舎らしきものが描かれています。町中を走るボンネットの車が妙に気になります。

町内でもう一つ詳しく描かれているのが、篠島地区です。現在「うめたて」と呼ばれている場所は、小さな島々が点在する一方で、師崎と結ぶ観光船や多くの民家、移転篠島小学校があった東山と言われる場所も詳細に描かれ、渥美半島の先に遠くは富士山、東京も記されています。日間賀区は簡易に描かれているので、制作当時の篠島の観光開発の意図が見え隠れします。

ご連絡した社会教育課職員の方にお聞きすると、おそらく故内田佐七さん(東端区居住)による知多自動車(のちの知多バス)の観光PRのためにつくられたものではないかということです。どういう経緯で小学校に寄贈?されたかは不明ですが、南知多町町制60周年の年に、それ以前の状況を知る資料が、自らその存在をアピールしてきたようにも思え、今後の専門家による分析が楽しみでもあります。

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