12月27日(月)
人権週間に関する校長講話として、11月末の朝会で肢体不自由学級在籍児童(のんちゃん)のエピソードを紹介しました。20年以上前のことですが、私が5・6年生交流学級の担任として、2年間のんちゃんと関わり、特別支援について学ぶ時間をいただきました。のんちゃんが入学して6年間で、学校はバリアフリーをはじめ、生活環境が大きく変わり、何より変わったのが教師や子どもたちの意識でした。「特別支援」といわれますが、私自身も「本当の特別支援は”普通”に支援をし合えること」ということを教えられました。
最近の教育書に、教育支援に関して子どもたちの力を知るエピソードが紹介されていましたので、その要約をお伝えします。
(前略)Aさんが入学する際、保護者の方から「うちの子は、耳たぶが片方しかないから、いじめられないように隠して欲しい。」という依頼がありました。この願いをどう受け止めるかを職員で協議し、Aさんが安心して過ごすには、耳たぶが片方無いことを「隠し続けられる学校」であることなのかを真剣に話し合ったそうです。結論は、①Aさん自身が「私は耳たぶが片方しかありません」と、言い切れる力をつけること。②困ることで周りに助けを求める力をつけること。③児童や教師が、「みんなと違うことが問題ではない」と気づくこと、という結論に達したそうです。そして、Aさんが安心して過ごすには、周りの環境が心豊かに育つことが不可欠とし、Aさんの保護者に伝え、一緒に学校をつくっていくことに理解をいただいたそうです。
入学式後、Aさんは、みんなの前で耳をかきあげ「よろしくお願いします。」と気持ちを伝えました。周囲の子どもたちは、「給食のマスクはどうする?」「話しかける時は、こっち(耳たぶがある方から)がいいね。」と、「耳が一つ」の友達を「特別」ではなく当たり前に受け止め、自然に生活を始めたそうです。
「みんなちがって、みんないい」を口にしながら、人と違うことを負い目に感じ、個性を障害にしてしまう風土がこれまでの日本にはあります。ダイバシティ(多様性)の時代に生きる子どもたちを前に、そろそろ特別支援の「特別」をとる時期に来ていると感じています。